感情のシャッターを閉じる

前述の通り、日曜日の飲み会もキツかったし、月曜日は出社して会社の売り上げを計算してたらこのまま蒸発したろうかってくらいくらいキツかったし、さらには弁護士事務所から連絡がきて婚姻関係のことで片づけなければいけない問題が発生して、もう、ホント、ツラいよ。

 

ツラい、と書きつつ、全然ツラいと思っていない私がいます。こうしてふつうに、平常心でブログ書いてます。

 

なんでかっていうと、感情を味わうレベルを下げているからなんですね。ふだんの私は、わくわくしたり、楽しいっ!って思ったり、あー幸せーって感じたり、そういうのを、感情レベルをマックスに開いて味わっているのですが、最近、わりとツラいことばかりが起きるので、感情のシャッターをかなり閉じています。

 

カメラでいうところの絞りですね。あんまり光が入ってこないようにしている。これで、シャッタースピードも短くすると、暗くて何が写ってるのか分からなくなるんですよ。いいんですよ、悲しみや怒りなんて、鮮明にじっくり味わう必要なんてない。ぼんやりと感じて、あー、なんだかそこにあるなー、でも暗すぎてよく見えないなー、ってやり過ごしてしまえばいい。

 

そして、時間が過ぎて、次の幸せが来たときに、思いっきりシャッターを開ける。私のシャッターは壊れないです。頑丈です。開け閉め自在です。

 

シャッターや絞りというたとえでもいいし、筋肉でもいい。前にも書きましたけど、鍛えた筋肉というのは、制御不能になるという意味ではない。必要なときに、必要な力が出せるというだけであって、優しく触ったり、壊れないように運んだり、ということができなくなるわけではない。

 

恐ろしいのは、非力な人、鍛えていない人の「火事場の馬鹿力」であって、それは制御不能だし、なんで自分がそんな力を出しているのか、本人も分かっていないのでしょう。

 

人間、大切なのはコントロールです。感情が湧きあがるのは当然。人間だもの。だけど、人間であるからこそ、感情もコントロールするべきだと、私は思うのですね。

 

もちろん、コントロールできていない面もありますよ。泣いちゃいけない場面で泣いてしまうこと、私はしょっちゅうありますよ。夫との話し合いで、我慢できずに家を飛び出してしまうこともありますよ。お客さんからの電話でイライラして、声を荒げてしまうこともありますよ。

 

だけど、完全にコントロールを手放してしまうことはしない。手がつけられないほど号泣するなんてことも久しくしていないし、飛び出した家にはほとぼりが冷めたころ帰るし、声を荒げた後には「先ほどは失礼しました」と謝ります。

 

しかしもう、感情を閉ざしたい相手には、ずっと閉ざしていたいのですよね。なので、今日は夕方に弁護士の先生と相談しに行きます。あーもー、めんどくせー。