大丈夫です泣いていません

また昨日もブログが書けなかった。

 

ちょいと、夫ともめましてね。

 

2年ぶりくらいに顔を合わせて話をした。

 

所有している不動産のことで、お金を払えだの払いたくないだの払えないだの払わないだの、そんな話。

 

相も変わらず全くもって話が通じない、つまり話し合いにならないので、「もうこれ以上、第三者がいないところで話し合うのはイヤです」と言って、逃げてきた。

 

はあ。うんざりだ。

 

うんざりだ、と書きながら、うんざりしてるわけではないんだよな、と思う。

 

知り合ってから20年以上が経っている。その間に、自分の人生すべてをささげると思っていたほど好きだった時期もあれば、心の底から軽蔑しているという時期もあり、その振れ幅が大きすぎて、そして、その都度、その都度の彼の態度も違いすぎて、私はどんな感情を抱けばいいのか、ものすごく混乱してしまう。

 

同居生活の終わりごろは、とにかく彼が私を支配、攻撃、侵略しようとしていて、でも、私はそれを彼の愛だと思っていたから、自分がつらくてもひたすら耐えて、でも、友達から「それってDVだよ」って言われて、受け入れるまでにもけっこう時間がかかって、でもつらかったけど目が覚めて、目は覚めたけど現実として子供が3人いて、私は子供を傷つけることだけは絶対にしたくなかったから、別居して、なんていう風に、とにかく長い時間、振れ幅の大きい関係性が続いてきたものだから、彼に対して、何をどういう風に思ったらいいのか、自分でもよくわからないのだ。

 

ひとつ、はっきりしているのは、今、私はもう彼からなるべく遠く離れたい、ということ。できる限り、他人になりたい、と思うこと。それは、子供の幸せとか金銭的負担とか世間体とか、ぜーんぶ切り離して考えたときに、もう、魂が彼の存在を拒絶している感じなので、とにかく他人になりたいです。この先の私の人生に、何ひとつ影響を与えてもらいたくない。別の世界で生きていってほしい。いや、正直生きていってくれなくてもいい。けど、たぶん彼が死んだら子供たちが悲しむから、それは望んでいない。

 

人間、誰しも自分が可愛くて、自分が正しくて、自分に都合のいい解釈をしてしまう、というのは大前提だけれど、私は、人間同士の関係性において、相手の望む自分、というのをわりと敏感に察してしまい、できる限りその人物像に合わせよう、という努力を無意識でしてしまうので、この期に及んで今でも、「彼は彼でかわいそうだな。こんなはずじゃなかったと思ってるだろうな。私と結婚してかわいそうだったな」と思わないわけではない。

 

けれども。

 

私だって、彼と結婚してかわいそうだったよ。毎日、家に帰りたくなくて、自転車に乗りながら帰り道で泣いてたもん。涙が止まらなかったもん。今でもあの頃のことを思い出すと泣けるもん。

 

おやすみなさい。