私はまだ母親なのか

今日はなんというかもう、てんこ盛りの日でした。歌いまくり、会いまくり、働きまくり。朝、起きたときはもう、どうにもこうにも疲れていて、あかんわー、年とったわー、と思ってましたが、行くべきところがある、やるべきところがある、というのはありがたいものです。決められていた予定をこなしているうちに、どんどん気分が上がりまして、今、めっちゃテンションが高いです。これからクールダウンして寝られるかしらん。いや、まだ寝ませんけどね。今、会社なので、これから電車にのって、自転車こいで、パジャマに着替えて、歯を磨いてから寝ますよ。

 

息子のリクエストで借りてきたアベンジャーズが見たいです。エンタメの世界にどっぷりつかりたい。

 

と思う一方で、仕事をするのも楽しくて、仕事をもっとしたい~。仕事、楽しい。

 

けれど、仕事だけしているわけにはいかないのです。子どもたちは、私と過ごすのを楽しいと思ってくれている。子どもたちは、私のいる家で遊ぶのを好んでいる。

 

それが分かっているからこそ、仕事とプライベートとの間で葛藤します。葛藤のない状態なんて、私にはないんだろうな。葛藤がないと、葛藤を作り出してしまうんだろうな。

 

私が母親をやめることで、子どもたちの幸福度がまったく下がらないとしたら、私はもう、母親なんてやめたいです。やめたい、と言うことと、やめることと、やめてみることと、全部違うので、それを踏まえていただいた上で、母親なんて、もうやめたい、と思う。やめてしまって、やっぱりまた母親になりたい、と思わない保証はないので、やめたい、と思うけれども、本当にやめてしまえるのかどうかは分からない。

 

そもそも、母親であるって、何なんだ。私は今、母親なのか? まー、母親ですよ。夫は「お前なんか母親じゃない」って言うかもしれないけれど、少なくともこの世に10人くらいは、私を彼らの母親だと思っている人が存在するぞ。その10人のうちに、子供たち本人が3人含まれるんだぞ。彼らが私を母親だと認識しているなら、私は母親だ。そーだそーだ。

 

あー。そうね。

 

世界中のすべての人から「お前なんか母親じゃない」って言われたとしても、子供たちが「お母さんは僕たちのお母さんだよ」って言ってくれたら、それでいいなあ。私の目指してるのは、そこだけだなあ。それさえなくしてしまうのは、やっぱりイヤだ。

 

10人のうちに、私自身が含まれないとしても。私自身が「私なんて母親とは言えないですよ~」って本心で思っていたとしても、子供たちが「えー、お母さんはお母さんだよ」って言ってくれたら、それでいい。

 

最悪なのは、私自身が「私は母親です」って思っていて、子供たちが「あんたなんか母親じゃない!」って思うケース。うわー、これはつらい。

 

今のところはたぶん、まだ、大丈夫。だけど、先のことは分からない。から、そう思われないように、あとしばらく、がんばる。

 

さて、家に帰ろうっと。