ただそこにある大きな存在

昨晩はとてーも仲のいい女友達と食事してました。会うのは2年半ぶりくらい。この間に起こったことを、がんがんしゃべり、彼女がケタケタ笑ってくれて、私も彼女の話を聞き、楽しかった~。食事もおいしくて、しかも地元でお値段は安い。

 

5時間近くお店で過ごしたけど、あっという間だった。その間に、まわりのお客さんたちが3回転くらいしてましたね。たいしてお酒も飲まなかったけど、追い出さずにいてくれたお店の方、ありがとうございました、って感じです。

 

めちゃめちゃ楽しかったのだけど、10時過ぎに8時前に電話の着信があったことに気づいて、それが子供たちから(夫の家から)で、なんだかそれだけで心がざわざわする。もしかしたら、子供たちからのSOSだったかもしれなくて。でも、こちらからかけなおすことはできなくて。なぜなら、私はもう、夫といっさいコンタクトを取りたくないから。その時点でかけなおしたら、子供たちはもう私に用がなくて、夫が電話に出る可能性が最も高いから。

 

子供が自主的に私のところへ来る分にはかまわないのだけれど、私は夫を通さないと彼らにコンタクトがとれないため、それができずにいるのはものすごく悲しいことではあるけれど、仕方ない。子供たちの心身の安全と、安心は、すべて夫の手中に握られているので、夫を信じるしかない。

 

私が何か悪いことをしたわけではないのだけれど、夫に接することが、私の心身の安全、安心に悪影響を及ぼすため、それができない。子供のためには申し訳ないと思うのだけど、そこは、まずは自分を守るという大前提のもと、私は甲羅の中に身をひそめている。

 

この先、いざ離婚だということになるとしても、私は弁護士や裁判所など、第三者を通してしか、彼と接触するつもりはない。直接に、ましてや二人で話すなんて、無理だ。恐怖と嫌悪で、まともではいられない。

 

別居から2年近くが経ち、少しずつ、ここにいれば大丈夫、この状態なら問題ない、という立ち位置やふるまいが分かってきたけれど、それでも、そこから出ていくのは、まだ怖い。自分が傷つくのもいやだし、子供たちを傷つけるのもいやだし、究極的には、夫のことも、これ以上は傷つけたくない。

 

と、楽しかった友人との食事が、すべて夫との関係に対する自分の努力で覆い隠されてしまうほど、私にとっていちどは結婚した相手、愛する子供たちの父親、という存在は大きくて、それはそれで、ないことにはできないことを、認めなくてはいけない。

 

ただ、その存在があり、私と彼にそれぞれ過去があり、経験してきたことと、それに対するそれぞれの思いがあって、その上で今がある。そして、変えていけるのは未来だけ。

 

まだまだ時間はかかると思うけれど、ただ、現実を重ねていくしかない。