間に合った

さて、あと8分で1000字が書けるかどうか。今朝、いちど投稿をしたので、連続日数が途絶えることはないけれど、どうせ今日のうちに書き始めたのなら、今日のうちに投稿まで済ませてしまいたい。そして、誰に決められたわけでもないけれど、1000字のノルマを達成して、投稿したい。

 

迷ったら、たぶん時間切れ。今朝、もやもやしていたことの続きを書こうかと思うけれど、もやもや考えていたら、1000字書けないので、吹っ切る方向で。そう、文章も、気持ちも、迷っている時間はもったいないのだ。吹っ切る。忘れることはできないけれど、忘れる努力をする。少しずつ、少しずつ、自分の気持ちを離す。それ以外のことを考える時間を増やす。

 

それでも考えてしまう自分を責めない。忘れることはできないのだから。知ってしまったこと、経験してしまったこと、気づいてしまったこと、すべて、過去に戻すことはできないのだから。

 

そして、人は人で、ずっと同じでい続けることなんて、できないのだから。何を誓っても、どんな金品を使っても、いくら制度で縛っても、人は変わってしまうのだから。

 

私が、このブログを書き始めたころと、どれだけ心境が変わっていることか。まだ1年は経っていないけれど、去年の8月の終わりに書き始めたころ、どんなことを書いてたかって、読み返すと自分で笑ってしまうほど。血迷っていた、と、今になっては思うけれど、そのときは、必死だったのだし、真剣だったのだし、それしか正解が見つけられなかったのだし。

 

きっと、今、こうしていることだって、今、こんな風に考えていることだって、数か月もすれば、「あのときはどうかしていた」となるのだろう。過去においての現在と、今から振り返った過去は、必ずしも同じではない。今、自分がいるこの状況と、未来から見た今とでも、全然違っているのだろう。

 

人間の解釈はどんどん変化するから。日々、刻刻の体験によって、どんどん上書きされていくから。次々に影響を受けるから。

 

どんな影響を受けるか、どんな記憶を脳に残すか、それを選ぶことができるとしたら、自分を幸せにする体験を選びたい、とは思う。けれど、それさえも、今考えて選ぶ体験と、未来から見て、あのときあれを選んでおけば、と思う体験は、違うかもしれない。

 

だけど、それを言っても詮無いこと。人は一瞬一瞬を、そのときしか生きられないのだし、過去は変えられず、時間は前にしか進まないのだから。