キャラはあなたが決めるもの

「キャラ」って、他人が決めるものなのだろうな、と思います。

 

昨日、私が書いた「書き言葉と話し言葉とでは、私のキャラって全然違う」というのは、おかしな表現だな、と思いました。私のキャラを、私が決めることは、できない。

 

このブログを書いているうさぎという「キャラ」は、ここを読んでくださっている皆さんが決めるものであって、私が「キャラ」を決めているわけではない。

 

私が「キャラ」を決めることができるなら、そのキャラを演じてラジオを作り上げることができるはず。それができないということは、私がうさぎというキャラを決めることができない、ということですね。

 

小説の実写化とか、漫画の実写化とか、結局、キャラを決めることですもんね。表情と音声を持つ、実際の人物のイメージを当てはめる。あるいは、役者がその漫画のキャラになるべく近づけるべく自分を変える。

 

お芝居の面白さというのは、そこかなー。そして、映画が2時間で終わるのは、キャラの生命も2時間続けばよい方、というのがあるのかもなー。

 

先日、友人と「私は何を考えているのかわからない人を好きになってしまう」と話していたのだけれど、「何を考えているのかわからない人」というのは、私が相手にあてはまめているキャラであって、本人が「自分は何を考えているかわからない人」だと決めているわけではない。

 

逆に私のことを、誰かが「いつも明るくて前向きな人」と思っているとしても、それは私に当てはめられたキャラであって、私自身は誰に対しても明るいわけでもなければ、いつもいつも前向きでいるわけではない。(まー、このブログにはさんざんどろどろ、ぐじぐじしたことも書いてますしね。)

 

キャラを変えるのは難しくて、それってまわりの人間に違和感を持たれてしまうからであって、それだったら、つきあう人間を変えるほうが簡単ですよね。中学デビュー、高校デビュー、大学デビュー、社会人デビュー、というのはそういうタイミングを利用しているキャラ変。

 

私はこれまでキャラ変をしてきたつもりはないけれど、付き合うコミュニティによって、微妙に自分の人間性が変わっている気がして違和感があって、結局、フェイスブックからも逃げ出して、匿名のブログに居場所を作ってしまった。

 

あー、みごとに私もキャラ変してるではないですか! はてなデビューか。わはは。

 

書き方のくせとか、言葉の使い方とか、読む人が読めばもうすぐに、これは〇〇〇(←本名)の文章だ、とわかるのでしょうけど、そこまでヒマな人、というか、そこまで私を好きな人も、いないですよねー。

 

今週も1週間がんばりましょう。