吹聴と事実と解釈

むんさん、Emilyさん、ありがとうございます。ラジオ、やってみようかなと思います。たぶんそのうち始めます。そしたらまた、お知らせしますね。

 

いろいろぐるぐる考えてしまって、頭の中がまとまらないので、手元にあった電子辞書で国語辞典を開いて、適当に文字を入れて目をつぶってスクロールボタンを押して、しばらくして離したところの言葉にまつわる話を書こう、と思ってやってみたら、「吹聴」という言葉が出てきました。ふいちょう。あちこちに言いふらすこと。

 

はいー。

 

私は果たして口が堅いのか軽いのか、という問題をときどき考えておりました。でも、自分で「私は口が軽い」なんて言う人はいないのかな。みんな、自分は秘密を守れる人間だと思っているけれど、実は「これは秘密なんだけど」と、けっこうまわりに話しちゃったりしてますよねー。

 

どうなんだろう。私もけっこうそれをやっている気がするな。だからと言って、口が軽いかというと、そんなこともない気がする。口が軽い人間に、そうそう悩みなんて打ち明けてもらえないと思うけど、わりと人から「これは誰にも言ってないんだけど」というような類の話を打ち明けてもらえるような気がするので。

 

気がする、気がする、ばっかりですね。人から見た自分って、自分では分からないのですよー。私、心からそう思っていて、自分がどんな人間かって、自分では分からない。というか、とある人物がどんな人間か、なんて人によって変わるんだから、断言なんてできないですよー。

 

たぶん私がラジオをやってみたりしたら、文字で伝わっている人物像とは全然違うのではないかと思います。いや、そうでもないのかな。分からないな。文字によってどんな印象を与えているのかというのも、よく分からないし。

 

吹聴。吹聴の話に戻ります。吹聴にまつわる思い出。なんかあったかな。

 

あー、思い出というわけではないけれど。誰かが「〇〇さんって××なんだって」と言うヤツ。これ、保護者同士の会話で多いんですけど、私は、××に入る言葉が、例えば「まだ20代なんだって」とか、「去年までシンガポールに住んでたんだって」というような事実であれば「へー、そうなんだー」ととらえます。が、しかし、「この前の保護者会で先生に向かって暴言吐いたんだって」とか、「地区班の集まりで怒って帰っちゃったんだって」というような、“解釈”がまじる話は、信じないです。“暴言”だと思ったのは、その場にいた別の人の解釈だし、“怒って帰った”というのも、それを見ていた人の解釈です。

 

私がその場にいたら、「先生に対して理路整然と意見を述べた」と受け取ったかもしれないし、「途中で場の雰囲気に耐えられなくて中座した」と思ったかもしれない。だから、自分の目で見ていない情報は、あまり当てにしていません。私は、自分の解釈で人と接したいから。

 

吹聴とはぜーんぜん関係ない話になってしまいました。

 

おやすみなさい。ぐーぐーぐー。