夢中になれることと努力が必要なこと
連休の間、毎日ほとんど行っているのが、バランスボールに乗って、音楽を聴きながらはずむという運動。運動というかなんというか、音楽を聴くのも体を動かすのも踊るのも基本的に大好きなので、これ、延々やってられます。30分ほどやるとじんわり汗が出てきて、だいたい終わりにするけれど、これ、私にとっては永遠にやってしまいそうなことです。ゲーム廃人とかいう感じの、バランスボール廃人。それくらい、続けることができてしまうこと。
踊るというのは、すごく原始的な行為なのだろうなあと思います。古代から、収穫の喜びを踊って表現したり共有したり、あと、神様に舞いを奉納したりとかしてるようだし。
単純に、踊るのってすごく気持ちがいいです。誰も見ていないところで踊るなら、恥ずかしさもないし。
フィットネス系でも芸術系でもいいのだけど、踊りをきちんと習いに行きたいなあ、と思いつつ、それにかけるお金がなくてずっと見送っている。ズンバの教室に行っていたこともあったけど、あ、そうそう、お金だけじゃなくて、やっぱり夜に家をあけると、子どもと会える時間が減る可能性が高くて、それも楽しくなくなっちゃったのよね。
正直、私はそこまで子供が好きなわけではない。家族である自分の子供は心から愛しているが、年齢の少ない人間、という意味でのコドモと一緒の時間を過ごすのは、まったくもって楽しくない。可愛いともほとんど思わん。自分の方が可愛いと半分本気で思っている(頭おかしい、このおばちゃん)。だいたい、一人で過ごす時間を何より好む人間を、コドモが楽しませるなんていうのは難しいことだと思うぞ。
もちろん、コドモと一緒に過ごす時間を楽しむことはできる。それは、私の努力で、そこそこできてしまう、ということ。そう、努力。コドモと一緒に楽しく過ごすのって、私にとってはすごく努力が必要なことなのよー。
その一方で、バランスボールで体を揺らすのは、何の努力も要らない。そっちの方が楽しいんだもん。
母親が子供を愛することを当たり前だと思う風潮が、前から気に入らなくて、ずっと「子育てなんて楽しくない」と言いたいと思っていた。思っていたけれど、それってすごく勇気の要ることだ。ものすごく誤解されてしまう可能性のあることだ。特に、親権を手放して家から飛び出してしまった私のような母親には。
だけど、子供たちのことは愛しているし、大切にしなければと思っているし、育て上げるのは社会的な義務だということも理解している。
人間の行動なんて、いつも2つの意味の間で揺れているんだきっと。