できそうな自分を掘り起こす

人間、そうそう一度にいくつものものを大切にはできなくて、本気で体重を落とそうと思ったら、けっこう他のことがおろそかになるのではないか、という気がします。というか、頭の中がそればかりになって、ここにそのことばかり書いてしまうかも、というのが自分では面白くなくて、うーん、どうしたものかなあ、と思っている。

 

と、吐き出したことで自分の中の呪いが解けて、ブログはブログ、ダイエットはダイエット、と分けることができました。言葉は力。自分の不安や希望、理想を言葉にしてみることで、その後の具体的な行動を決めることができる。

 

今、この文章を書きながら私が思ったのは、ダイエットに必要なのは何か、ということで、ダイエットに必要なのは食事の量や内容を変えることと、運動をすること。

 

ブログを書くことと、食事および運動は、切り離せるよな、って、そういう風に考えたら、頭の中がダイエットでいっぱいにならずにすみました。ブログしながらだらだら食べることをやめる。ブログを書く時間をきちんと切り上げて、運動をする。

 

ブログで面白いことを書くことと、ダイエットをすることは、矛盾しない。関係性はない。

 

「一度にいくつものことを大切にできない」というのは言い訳であって、理屈としては、ダイエットのことを書かずにブログを続けることはできるはず。なんですが、人間は弱い生き物なので、言い訳にしてしまうんですよね。関係ないことでも。できないこと、やらないことに、なんだかんだと理由をつけてしまう。

 

私が、曲がりなりにもポジティブな思考を保つことができているとしたら、それは、自分の心の声を聴く訓練を受けているからで(前にそういう講座を何度も受けた)、その講座の手法にのっとると、被害者ぶって行動せずにいることができなくなるのです。

 

たとえば、「料理教室に行きたいんですけど時間がなくて」みたいな、できない理由をとことん探っていくと、実は時間がないというのは言い訳であって、行動を起こしてないだけじゃん?みたいなところに行きつく。

 

行動を起こすのはめんどくさいので、けっこう人間っていろんな理由を持ちだしちゃうんですよね。「時間ができてもお金がない」「教室に通わずに料理の本を買えばいいかも」「習った料理を作る機会がない」とか、作ろうと思えば、どんどん。

 

私が習った手法では、その「なぜできないと思ってしまうのか」というところにも寄り添って、決して「できない自分」を責めることなく、「できそうな自分」を掘り起こすので、どんどんできそうなことが増える感覚が気持ちよいのです。

 

って、書いてますけど、ダイエットができるかどうかは分かりませんよ。きっと「今の私にはダイエットより大事なものがたくさんある」って言い訳して、1グラムたりとも体重減らさないんじゃないか、って未来がなんとなく頭に浮かんでますけど。とほほ。