この先二度と味わえないこと

昨日、もうお酒の席ではお酒を飲まなくていいや、と書いていたにもかかわらず、というよりも書いていたからこそだと思うのだけど、今、ビールが飲みたくて仕方ないという(笑)。

 

でも、たぶん飲むと後悔するんです。あー、思ってたほど美味しくなかった、って。仕事の後の達成感と疲労感とのどの渇きを合わせて、それにガツンと答える感じのビールの最初の1口目の美味しさは、たしかに記憶の中にあるのだけれど、それは、記憶の中の理想のビールであって、私はたぶん、もうそれを味わえる機会はこの先あんまり多くない。

 

人に時間は流れるのであって、身体も年をとれば、環境も変わるし、心境とか物事の受け止め方も同じではありえない。

 

この先に得られないもの、でも、確かにこの人生で受け取ったもの、は、きっと数限りなくあると思う。意識していないだけで、あるいはそれを当たり前だと思っているだけで、たくさん。

 

いちばん明らかなのは、出産という体験。私は3回出産しているけれど、おそらく(というかもう、ほぼ絶対)この先二度と、出産を経験することはないだろう。あのときの体感と実感。まー正直、あんまり覚えてないですけどね。確かに私はそれを得たはずなんだが。そして、二度と味わわなくていいんだが。(もう、完全に満足しております。)

 

今、おいでなさっている生理も、そのうち二度と来なくなる日が来るのだし、ああそういえば、昔はいつも当然のこととして子供と一緒にお風呂に入っていたけれど、おそらくこの先、一緒に入ることはなさそうだ。考えてみるだけで、なんか恥ずかしいし。

 

まだ欲しい、まだ味わいたい、まだ知りたい、まだ手に入れたい、と、貪欲に求めていく人生も、エネルギッシュでいいと思うけど、なんだかなー、私はあんまりそれを求めたいと思わなくなってしまったなあ。

 

もちろん、この年齢、この身体、この環境、この心境、になったからこそ得られる喜びもあるはずで、それはそれで、ありがたく受け取れるような人生だったらいいな、と思うけど。

 

大きな喜びが来ないかもしれないからこそ、感覚を鋭く、小さな喜びを受け取れる状態に整えておきたいものです。

 

皆さまも、よい日曜日を。