ちょっと宗教的かも

自分の中で、善良に生きるエネルギーが貯まってきた気がします。たぶん、陽気のせいもある。いろいろ迷いを捨てて、ビジネスよりもボランティアを優先してきた判断がここにきて結実してきたからかもしれない。それから、一昨年に受けた傷がいろいろ癒えてきた感覚もある。

 

人からどう見られているかは分からないけれど、私だって傷つくし、落ち込むし、絶望してしまうこともある。そこから、たぶん、ゆっくりと時間をかけて、浮上してきた。傷を、時間で癒してきた。

 

私は、わがままで自己中で自分がかわいくて仕方ないナルシストだから、誰かが私を傷つけることを許せない。誰かが私を傷つけたら、私は全力で自分を癒す。自分を癒すのは、相手を傷つけ返すことではない。自分を癒すのは、自分自身。そして、自分でも癒やせない傷は、癒やせる人を探す。全力で、人を頼る。

 

カウンセリングも受けるし、病院にも行くし、法律相談所にも行くし、弁護士にお金も払うし、学校の先生に手紙を書くし、友達にも両親にも泣きつく。

 

そして、「あとはもう大丈夫」と思えたら、時間が過ぎるのを待つ。時間は、神だ。私は宗教を持たないけれど、神様のような存在があるとしたら、それは時間だと思っている。

 

時間は、だれにも平等だから。どんなにお金のある人にも、どんなに貧しい人にも、1日は24時間だから。

 

神様は見てるんですよ。

 

1年とちょっと前に、とある女性から浴びせられた言葉だ。

 

たしかに、神様は見ている。この1年間、仕事はできなかったけれど、その分、友人と過ごしてきた時間が、結実しようとしている。

 

そして、ふてくされて生きてきたこの1年が過ぎて、神様が、もう大丈夫と言ってくれた。ここからの1年は、また善良に生きていこうと思う。善良に生きることで、神様が祝福してくれるという確信がある。