気まぐれに書く

なんの予定もない土曜日。子供たちもいなくなってしまった。やろうと思っていた仕事は、先方のトラブルでできなくなった。

 

じゃあ、何をしようか、と思うと、文章を書きたくなる。今の私には、文章を書くこと、自分の思いや考えを日本語に書き留めることが、何よりの娯楽らしい。

 

やりたいこと。

できること。

求められること。

 

この3つが重なったことをするとき、人はいちばん幸せなのだろうと思う。

 

こうしてブログに好きなだけ文章を書きつけるのは、私にとって100%やりたいことだ。

 

じゃあ、これができることか、というと、答えは50%イエス。書けることしか書けないし、書けないことは書けない。私の頭の中、胸の中には、言葉にならない思いもたくさんある。すべてを書けているわけでは、ない。

 

そして、求められているかというとこれは100%ノー、であって、これは誰かから要請されたわけでもお金がもらえるわけでもないから、完全に否。

 

300点満点の150点の、やりたいことをしている私。

 

十分だよね。

 

2分の1を、まだ半分ある、と考えるか、もう半分ない、と考えるか、それだけの違い。

 

外はいい天気。子供たちと出かけるのも気分がいいだろうけど、出かけたら出かけたで、イライラしたりすることも起こりそう。シミそばかすも増えそうだし。こうして、家でのんびり、文章を書いているのが、心の底から幸せ。

 

満ち足りた、とはこういうことを言うのだろうか。足るを知る、とはこういうことを言うのだろうか。

 

私の職業って、何なんだろう。私の天性って、何なんだろう。私の能力って、何なんだろう。

 

分からない。たぶんそれは全部、人が与えるものだ。

 

私は、自分で、今、ひとりでこうしていて、満ち足りた気分でいる。誰からも、何も与えられずに、ひとりでいることが、幸せ。

 

孤独ではない。寂しくもない。一人で、充足を、感じている。3月の午後。