酔っ払ってるので信条を書き出す

私がブログを書くのは、書かないと、考えたことが脳内がいっぱいになって、破裂しそうになるからです。吐き出さないと、次が入ってこない。

 

それが、生理学的に本当なのか、科学的に正しいのか、知りません。感覚的にそうなんです。でも、その感覚を味わうのは私の身体です。だから、私は自分の身体のために、ブログを書いている。

 

健康な精神は健康な肉体に宿るのです。そして、健康な肉体は健康な精神を宿すのです。

 

心身ともに、健やかに。これが、目指すべき人生の姿だとしたら、私は目指すべき人生のためにブログを書いています。

 

心身ともに過ごすための方法は、なんでもよいのだと思います。たくさん寝ることでもいいし、朝早く起きることでもいいし、毎日必ず散歩することでもいいし、週に1回友達と飲みにいくことでもいいし、猫と遊んで癒されることでもいいし、美味しい料理を味わうことでもいいし、映画を見て思い切り感情を動かされることでもいい。

 

なんでも試してみたらよい。私には、たまたまブログを書くという方法が合っていた。それだけのことです。

 

毎週、毎週、週末は、どのくらい休むべきなのか、どのくらい働くべきなのか分からず、いつももやもやした気持ちで眠りにつきます。もっと仕事したかった、ような気もするし、もっと別のことに打ち込みたかった、ような気もする。

 

しかし、今日は洗面台を掃除して、キッチンカウンターも掃除した。たまにしか掃除しないっていう状態が社会人としてどうなのか、と思いますが、いいんです。病気にならずに生活してます、私。

 

赤ワインにはちみつ入れてレンジであっためてシナモンシュガーをふる、というホットワインが美味しすぎて、おかわり。あー、今日も、酔っ払い。

 

酔っ払うと食欲のリミッターもはずれて、絶対、何か食べたくなる、ということが予測できたので、小さなお豆腐にキムチとチーズを載せて、これまたレンジであっためる、という食料も、用意しました。至福~。

 

お気楽に、幸せに、生きている私。そんな私の信条を、箇条書きにしてみたいと思います。酔っ払っているときにやることでもないような気がしますが、そんな気分なのです。脳内に浮かんだことを、ただただ垂れ流しているのです。

 

行きます。

 

・ウソをつかない。

これは、母親からさんざん厳しくしつけられたから。「人を殺すのは悪いことだけど、殺してしまったのに殺していないとウソをつくのはもっと悪いこと」と教えられて育ちました。

 

・他人と自分を分ける。

〇〇さんが困るかもしれない、〇〇さんがどう思うか分からない、〇〇さんが怒る気がする。こういうのを、気にしません。あえて誰かを気分悪くする必要はないけど、自分のしたいことと、相手の気持ちを比べるときは、必ず自分を優先する。だって、結局のところ、相手の考えてることなんか分からないし。相手の怒りや悲しみを、私が味わうわけではないし。

 

・傷つけたら謝る。

自分を守った結果として誰かに不快な思いをさせたとしたら、謝ります。事情があったなら事情を説明するし、傷つけるつもりはなかったとしたら、そんなつもりはなかった、と言葉で伝えます。私が謝らないということは、傷つけてもいいと思って傷つけたときです。

 

・過去のことは悔やまない。

反省すべきことが、ないわけではないです。でも、悔やんだところで、過去は変わらない。変えられないことを、悔やんでも仕方ない。悔やむ時間が惜しいから、悲しむ時間がもったいないから、過去のことは悔やまないことにしてます。

 

・時と場所を選んで感情を動かす。

感情を押し殺して生きているのも、私にとっては味気ないことです。私は感情を動かすのが好きだし、感情を動かしても、ある程度の時間があれば、日常生活には戻ってこられる自信もついている。けれど、感情を出す時と場所は、選んでいます。他人の前なら、安心して感情を出せる相手の前で。一人で泣くなら、立ち直るまでの時間的な余裕のあるときに。

 

という感じです。

 

おかわりしたホットワインがなかなかなくならない…お腹いっぱい…おろかな私…。

 

おやすみなさい。