悲しみに暮れたその後で

今、私はとても悲しい。

 

自分のふがいなさと、人をなくしてしまった悲しみと、将来に対する不安と、とにかくいろいろなものがまぜこぜになって、なぜだか悪い意味での小さな奇跡のようにいろいろなハプニングが重なって、ひとつひとつは全く関係ないことなのに、多くが続けて起こってしまって、どうしようもなく暗い気持ちの中にいる。

 

たった30分前までは、前向きな気持ちだった。なのに。

 

休みたいなあ。きちんとオフの日を作って、自然にふれたり、身体を動かしたり、誰かに迎え入れてもらったり、したいなあ。

 

***

 

と、書いて、ひとしきり泣いたら、すっきりしました。

 

小2の次男が、ものすごく怒りっぽい子で、ふだんはとてもいい子なのだけど、カッとなると暴れたりモノに当たったりして、手がつけられない。そして、例えばモノが壊れてしまっても、そのことで自分が悪いということを、絶対に認めない。

 

私は、失敗はしてもいいけど、失敗したら謝りなさい、という風に教えたくて、何かが壊れたことを他のモノや人のせいにしちゃいけません、というのを伝えたいのだけど、どうにもこうにも手がつけられない状態で、言うことを聞かせることができない。

 

それがふがいない。

 

どうやったら彼に、「非を認める」ことの大切さを伝えられるのか。

 

謝ることは権利なのだ。謝って許してもらえるかどうかは分からなくても、とにかく謝るということができるというのは、相手との関係をつなぎとめたいという意思表示をする、権利なのだ。

 

その権利の大切さを、彼に分かってもらいたい。

 

そう思う一方で、このまま謝ることのできない大人になってしまったとしたら、私はきっともう、次男とは付き合わないだろう。お互い大人で、付き合う相手を選べる立場になったときに、まだ彼が謝ろうとしない人間だったとしたら、私に彼をひきとめる意味はない。彼にとって、私がひきとめる価値のある人間だとしたら、私に対して謝るだろう。そのころ、私が彼を叱るようなことはないと思うけれど。

 

書きながら思った。

 

夫は、謝らない人だった。これまで、謝られたことはない。悪いのは、いつも私だった。彼の方から謝って、関係を持続させようとしてきたことは、いっさいなかった。

 

次男が、夫と同じように、法律上や血縁上の立場に頼って、私という人間には謝る必要はないと思うのであれば、私が離れるまでだ。

 

そう思ったら、涙が止まった。

 

謝るか、謝らないか、反省するか、しないか。彼の人生だ。私にはコントロールできない。

 

私は、私と一緒にいたいと思ってくれる大人とだけ付き合うつもりだ。

 

息子に子供が生まれたら…そしたら、また子供と付き合わなきゃいけないのかー。めんどくさー。