究極的に目指している生き方

善良に生きたい、と思うのともう一つ、美しく生きたい、というのも欲望としてあります。

 

正直、美しく生きたいという言葉の80%くらいは「痩せたい」なんですけど、私の「痩せたい」っていうのは自分のコントロールできる範囲のことをしていない、という意味なので、とてもカッコ悪いことで、あまり書いてはいけないような気がするのですよね。「痩せたいと言いつつ痩せない」というのは、美しくないのですよ。美学に反する。

 

善良に生きる、美しく生きる、という2つの生き方より、さらに上回る私の生きたい生き方というのがあって、それは、楽しく生きる、というもの。楽しくなければ続かないんです。いくら善良なこと、つまり正しいことだとしても、苦しみながらそれを行うのは、私には続かないから一生それをやるのは、無理。美しくあるために、あるいは他人から美しいと思われるために、自分が楽しいことを我慢したりするのも、無理。私にとっては、「美人だね」と言われるより、「面白い人だね」と言われる方が嬉しい。

 

もちろん、美人だと言われても、うれしいですよ。じゃんじゃん言ってくれていいですよ。

 

善良ではない生き方、美しくない生き方が、なぜイヤかというと、あまり善良ではない生き方、美しくない生き方を続けていると、自分で自分を好きになれなくなるからです。あー、こんな意地悪な自分はイヤだ、とか。あー、こんなに醜い私はイヤだ、とか。

 

私は、自分が自分を好きでいられることが何より大切です。会社を辞めるときも、「今の会社に勤め続ける自分を、私はもう好きだとは思えなくなったんだな」と思って辞めました。

 

ブログを書いている自分は好きです。文章によって、自分を表現するのは、大好きな作業です。

 

私の大好きな作業に、毎日お付き合いくださってありがとうございます。今日も、感謝、感謝の心で生きていきます。←善良アピール。