立派な人は立派な人で私は私だ

なんだかちょっとイヤな夢を見ました。「私の存在価値」について、自分に問いかけてしまう、という…。

 

夢の中で私は、必死で「自分がいなかったらこの世に生まれなかったもの」を挙げていました。思いつくのが、前の会社で企画から立ち上げて完成させた1冊の単行本だけで、私がいなかったとしても、世界はこの1冊の本の有無しか変わらないのか、と、悩みながら、いや、絶対にそんなことない、私の存在価値はそんなことじゃない、と頭の中でぐるぐる考えながらも、目の前にいる人(誰だかわからない)には、言葉で説明できなくて、頭の中でぐるぐる悩んでいる、という夢でした。頭の中で苦しんでいる、という夢を脳が作り上げる、という、私の脳みそどんだけマゾ、って、今書きながら思いました。

 

目が覚めて、今自分の存在価値を考えてみますと、そんなことを考えるだけ無駄、だと思います。人生なんて暇つぶしです。誰かの人生を素晴らしい、と思うのは、素晴らしい、という価値を人間が作り出しているからです。誰かの人生をくだらない、と思うのは、くだらない、という価値を人間が作り出しているからです。

 

ヒマだから、そういう価値を生み出すのです。毎日、生き延びるだけで必死な状況にある人が、生きる価値を考えたりするとは思えません。

 

でも、こうしてヒマつぶしにブログを書くことのできる人生を、私は幸せだと思います。誰かから攻撃されたり、家族が危険な目にあったり、空腹で息絶えそうだったり、そういう心配をしないでのうのうとブログを書いていられる今日というこの日を、私はありがたく、幸せなことだと思います。

 

もちろん、何かに命をかけている人に対して、「ヒマだねえ」とは言いません。そこまで真剣になれる何かがあることは、素晴らしいと思います。私は、それを素晴らしいと思う価値感はあります。

 

が、私も同じように生きなければいけないとは思いません。私は、私の扱える範囲の生活を、満たしていくことで必死なのです。とにかく、月に20万円ほどの自分の収入を確保するだけで、必死なのです。

 

だから、無料でこうしてヒマつぶしができるブログがありがたいし、安心して書いていられる状況を、幸せだと思っています。

 

はあ。本当は、布団の中で、「もっと寝たい…寒い時期に6時半に起きるっていうのは絶対、動物的には間違っている…」とぐじぐじしてたことを書こうと思っていたのですが、なぜかこんな記事になってしまいました。

 

1000字越え!