美容院の予約から考える文化人類学

たいていのことは器用にこなす私ですが(嘘です)、「美容院の予約」が苦手です。

 

そもそも、「先のことを考える」のが苦手なのです。「過去のことを考える」のも苦手です。私には常に「今」しかない。だから悩まないんだろうなー、と最近わかってきました。

 

悩まず幸せに生きていけるのは、幸せになるためにものすごく役立つ能力ですが、動物的に「幸せ」になることは可能でも、社会的に「成功」するためにはそれだけでは足りません。なぜなら、「過去」を分析して「未来」を予測して、来るべき未来に投資してそれで儲ける、というのが資本主義の基本だからです。

 

本当は未来のことなんて分からないのに、「今なら20%オフ!」につられて、“未来にたぶん使うもの”にお金を使わせる、というのが資本主義の基本です。もちろん、未来を正確に予測して、お金を節約できるなら何も問題はありません。資本主義万歳です。

 

しかし、もちろん私も資本主義経済に踊らされている一人でありまして、「この先、月に1回くらいは車に乗るだろう」と、ものすごく衝動的に9月にカーシェアリングの会員になりましたが、10月も11月も、乗らずじまいでした。しかし、会費は払い続けています。〇イムズからしたら、何もせずに丸儲けですよね。あーあ。悔しいから12月は乗ろう!とすると、さらに〇イムズを儲けさせることになるという、このからくり。

 

と、書いていたら、〇イムズに腹が立ってきました。解約しよう。そうだそうだ。解約してやるぞ。そして、また車に乗りたくなったときは、そのときだけ車を借りればよいのだ。

 

こうして、私は美容院の予約を忘れるのです。予約をしないで、ふらっと時間が空いたから美容院へ行く、ということができればいいのですが、やはり納得いく美しさを手に入れたい、という程度の願望はあるので、ふらっと近所の床屋で丸刈りにしてもらう、というような大胆なことはできずにいるのです。

 

あーあ、もっと動物的に生きていけたらいいのに。っていうかそもそも動物って美容院行かないしな。って考えると、体毛が社会生活に不適切なほど伸び続ける仕組みになっているっていうのは、なんでなんだろうな。いや、逆なんだろうな。常に体毛を切りそろえている、というのが、現代における社会的地位を表す印になっているんだろうな。なんとなく、古代の「部族の酋長」とかひげぼーぼーなイメージだしな。卑弥呼も、めっちゃ髪長いしな。会ったことないけど。もしかして、人間っておかしな方向に文化を発展させてしまったのではないか???

 

なんてことを考える前に、美容院を予約しろって話ですが、店内の電話が昔ながらの「ピンクの電話」というめっちゃアナログな美容院を愛用しているので、こういう余裕のある時間帯に予約ができないんですよ~。

 

はい、皆さん今週もがんばりましょう。

 

追伸

今、タイトルをつけてみましたが、こういうことを考えるのが本当に「文化人類学」なのかどうかはわかりませぬ。