だらだらと前向きなことを書く

わーい、宣言から体重1kg減。宣言がいつだったか、ブログをたどればわかるのですが、めんどくさいのでたどりません。たぶん10日前くらいです。

 

1kg減ったのは事実ですが、これまで何度もダイエットをしてきた私としては、これくらいは体内の水分の増減で簡単に変わることを知っているので、体型が変わったわけではないことを知っています。それでも、数字が減るのは精神的にうれしい。「自分がんばってる!」という錯覚をくれます。

 

錯覚でもなんでも、「自分がんばってる!」と認められるのが“幸せ”で、シビアな現実を見て「がんばってるだけじゃダメなんだ!」と数字を出していくのが“成功”なのでしょう。経営者が「私だってがんばってるんです」と言っても、株主は納得してくれません。チーン。

 

日本の社会とか、日本の教育とか、あまりに「がんばること」を美としている感があるなあ、とその弊害を感じるときが多々あります。前に勤めていたパートの女性が、やたら勤務時間が長くて、そのわりにはいつまで経っても頼めることが増えないので、そのことを面談で指摘してみたら、「えー、今でも私けっこうサービス残業してるんですよ」というようなことを言われたので、辞めてもらいました。頑張ってくれてるのかもしれないけど、それはこっちの求める能率に達していないということなので。言われたことを淡々とこなしてくれたらOKの学生アルバイトと違って、30代も半ばで、仕事のやり方とか求められていることとか、多少は分かってくれてるかと期待していたけど、ダメだったねー。

 

あと、ボランティア活動とかやると、下手に使命感にあふれた人とかが、空回りしてがんばってくれちゃうのも、ホント弊害。本人が空回りしてるだけならまだしも(それだって見てるだけで痛々しいけど)、効率的な作業をしようとしてたり、楽しくやることを心がけたりしている人たちを、「やる気がない」と見なして攻撃したりしてくると、ホントに目も当てられない。目も当てられない、じゃなくて、目に余る、かな。あたしゃそういうの、逆に許しませんよ。ボランティアは楽しくなきゃやってられません。

 

「努力することが美」が社会的な弊害だとしたら、個人の素質として問題なのは「客観的になれない」ことかな。自分が他からどう見られているかを考えられない。他人に自分と同じ価値観を押し付ける。つまり、インサイド・アウトができないってことですね。なーんて、「インサイド・アウト」は、

 

まんがでわかる 7つの習慣

まんがでわかる 7つの習慣

 

 に書いてあって、昨日たまたま読み返していたのです。

 

この漫画、いいですよ。読むと、いろんな場面で迷いが減ります。私は台所に置いてあって、冷蔵庫からワイン出して飲みながらだらだらこれを読む、という、怠けてるんだか自己研鑽してるんだかよく分からない時間が好きです。

 

ちなみに私は赤ワインが好きですが、スーパーで400円くらいで売ってるのが好きです。飲みやすいんだもん。たまにレストランとかで頼んだワインが美味しいと、うわ、当たり!って思うけど、スーパーで1000円以上出すくらいなら、400円でいいや、って思いますね。

 

おっと、そういえばこの週末はプールに行くと宣言していたのだった。いつ行くのだ、私⁉ 外は雨~。自転車乗れない~。近くのプールは絶対に知ってる人と会うからイヤなんだよー。そういうのもプールのめんどくささの1つ。

 

あ、最後に思い出したの1個だけ。

 

私、全くもって胸がなくて、それはもう、貧乳じゃなくて無乳で、市販の水着だと胸のカップのところが凹むので、あまりにみっともないため“激盛りパッド”というのを入れていたことがあったのですが、以前、まだ子供がめっちゃ小さかったころ、子供を連れて近くの区民プールに行ったら、同じ保育園のお父さんと会ってしまって、自分の“激盛り”された胸に、「あーもう、ホントごめんなさい。そんなつもりじゃなかったんです。お父さんをだまそうなんて、そんなつもりは全然なかったんです。ただ、ちょっと普通の見た目を目指しただけのことで、でも、それが結果的に自分を偽の姿に装うことになってしまって、本当にごめんなさい。」と、心の中でひたすら謝っていたことがありました。

 

…全然、週末の朝に似つかわしくない投稿になってしまった。すみません。