読んでくださる方に感謝をこめて

基本的に私はめちゃめちゃ真面目な人間なのだけど、オールウェイズ真面目100%というわけでは決してなくて、ときにはふざけたことも、反社会的なことも、エロいことも言いたくて、でもそれを言う相手がいなくて、ここに書いてしまうわけですよ。

 

私にとっては、真面目な私を知っていながら、そういうおバカなことも受けとめてくれる人こそがパートナーなんだけど、今はパートナーがいないから致し方なし。

 

じゃあ女友達にそれを話せばいいかというと、そんなことを一方的に吐かれるのはたまんねえな、と、私なら思ってしまう。私、背が高くて顔立ちがきつくて、言いたいことをずけずけ言うので、決して優しい女性ってイメージはないと思うのだけど、相手の気持ちを慮るということにおいては、能力が高いというか、センサーが精密というか、わりと(というかかなり)敏感であると思う。それはもう、無意識の才能みたいなもんで、目の前にいる相手がいちばん楽しいと思うような話しかしたくなくて、一方的にとにかく聞いてくれたらいい、みたいな話し方を、できないんですよねー。

 

それでも「聞いてもらえること」の効果ってすごいな、と思っていて、やっぱり人って誰かに承認してもらえることが大事。母親がいつだったか、夫をなくした祖母のことを、「おばあちゃんは、おじいちゃんが死んじゃって、『これでいいよね』、『うんそうだね、そうしよう』って、相談とか解決とかじゃなくて、ただただ、『いいよね』『うん、いいよね』って、そういうことを言える相手がいなくなっちゃったから、すぐうちに電話してくるのよね」みたいなことを話していた。

 

それはもう、そっくりそのまま、今の両親にも当てはまるなあ。父と母、お互いに毎日、くだらないことを「こうなんだよ」「ああなんだよ」「そうなんだね」「そうなんだね」と話しているんだろうなあ。父が母の話を聞いているし、母が父の話を聞いているから、私のところにはあまり連絡も来ないのだろうなあ。

 

話を聞いてもらうという行為は、壁に向かって話すのと、だれか一人でも人間に聞いてもらうのとでは、効果がまったく違うのですって。目の前にいる生身の人間が、自分の話を聞いてくれた、自分の言うことを受けとめてくれた、って思えることが安心や癒しにつながるのですって。

 

そうか。だから誰にも見せない日記を書くのと、アクセス数が目に見えるブログでこうして書き散らすのと、全然違うんだな。どこの誰とも分からないけど、やっぱり読んでもらった数が多いと、うれしいもんな。

 

すみませんね、画面の向こうにいる皆さん。今日も読んでくださりありがとうございます。

 

ところで、先ほど体重計に乗ったらかーなーりビッグな数字が出たので、11月23日までに3.6キロの減量を試みたいと思います。急激なダイエットはリバウンドが、とかいうご意見もあるかとは思いますが、知ったこっちゃありません。一瞬でも痩せられるなら、この先一生痩せられないよりマシです。へい。