やりぬく覚悟

何かプロジェクトでも、組織の改編でも、一人ではできないことをしようと思ったとき、最終的に必要なのは、一人でも最後までやりぬくという覚悟だと思う。

 

「いい考えだと思う」と賛成してくれる人はいる。「手伝うよ」と言ってくれる人もいる。だけど、率先して動いてくれる人はいない。賛成してくれていたはずの人も、手伝ってくれるはずだった人も、しんどくなったり、本人たちのイメージとずれていたりするだけで、軽々とやめていく。

 

だけど、それでもそのプロジェクトを成功させるには、「一人でも最後までやりぬく」しかない。

 

納得してくれたはずの人が去っていったら、別の人を説得する。手伝ってくれるはずの人の都合が合わなくなったら、別の人に手伝いを頼む。一人ではできないことを、一人でもやるためには、一緒にやってくれる人を、一人ずつ増やしていくしかない。

 

今、私が立たされているのは「やる」とか「始める」とかではなくて、年々続けてきた地域の行事を、来年はもう止めたい、と訴えられている案件。私がその決断をできる立場のため、何十年も続いてきたことを「止める」というプロジェクトを実行するかどうか。

 

誰のために、何のために。

 

明らかに、私には何の得もない。むしろ、嫌われ役になるだけのことだと思う。それでもやるかどうか。

 

「止める」という決断自体を、しないことは簡単だ。例年通り来年も続けていきましょう、という決断をしてしまえば波風は立たない。

 

だけど、私が「止める」ことをすることの意味は何か。

 

私は、私に聞こえてくる身近な人たちの声(もうやめたい)に応えたいという気持ちがあるのだ。言いたいことだけを言う、外部の人間には言わせておけばいい。私は、私の目の前にいる仲間のために、私ができることは何か、それを考えたい。聞こえてくる声を無視することができない。

 

言いたいことを言う人には言わせておけばいい。全員から好かれるなんて無理だ。誰から好かれたいか、誰から感謝されたいか、それを選ばなければ、人生がパンクしてしまう。

 

それにしても、「加茂さんにならついていきますよ」と何人もが言ってくれることのありがたさと、同時にそれに対する戸惑いと。自分がやりたくないことのために担ぎ出されるのはもう勘弁~、という感じもあるのだよなあ。ビジネスでこれができたら、本当にカッコいいと思うのだけど。