映画『ムーンライト』を見た

映画『ムーンライト』を見ました。

 

moonlight-movie.jp

 

本当はこの夏、『ラ・ラ・ランド』よりも見たかったのだけれど、時間が合わなくて公開が終わってしまった。昨日、〇タヤでDVDレンタルが始まっているのを見つけて、新作だから高かったけど、これを逃してはならん、と借りてきた。新作だからケチって1泊コースなので、これから返しに行かなくては。

 

『ムーンライト』、素晴らしい映画でした。

 

一人の黒人の男の子が、1.リトル 2.シャーロン 3.ブラック と、ムキムキで金ピカ入れ歯のゴツい男になるまでを描いている。

 

「リトル」と呼ばれるシャーロンは、ちょっと身体が小さくて弱気、といった程度の男の子だ。まわりからいじめられて、追いかけられたり、ラグビー(アメフトか?)から抜け出したりするけれど、目も当てられない幼少時代ではない。母親はヤク中だけれど。父親らしき男から怒鳴られたりはするけれど。

 

思春期の「シャーロン」は、目立つほど細く、見るからに気が弱そうで、教室であからさまにいじめられる。話しかけてくれる友達はケヴィンだけだ。母親のヤク中はひどくなり、シャーロンからもお金を巻き上げるし、売春のために夜、シャーロンを家から追い出す。居場所のないシャーロンは、浜辺でケヴィンに会う。ケヴィンだけはシャーロンを嫌がらず、「ブラック」と愛称で呼ぶ。そして、二人は浜辺で強いつながりを持つ。

 

だけど、思春期の子供たちが一日の大半を過ごさなければいけない学校というのは残酷な世界だ。いちばんの権力者のドレッド男に命じられて、ケヴィンはシャーロンを殴る。シャーロンはケヴィンを見つめながら、殴られるままにする。

 

腫れた顔を氷で冷やしたシャーロンは、翌日、学校でドレッド男に椅子で殴りかかる。警察に取り押さえられ、シャーロンは少年院へ。

 

大人になった「ブラック」は、ガチガチに体を鍛え、金色の入れ歯をして、ヤクの売人になっている。手下をびびらせて試す。

 

それでも寝られない夜があり、そんなときは顔を冷やす。氷で、冷蔵庫の冷気で。

 

ある夜、ケヴィンから電話がかかってくる。「久しぶりだな」と。「あのときのことを謝りたい」と。

 

ブラックは、大きな車を運転して故郷のケヴィンを訪ねる。ケヴィンが料理人をしているというダイナーへ。

 

見た目が激変したブラックに驚くケヴィン。ヤクの売人をしているという近況にも「お前に限ってそんなはずは」と、驚きを隠せない。

 

食事をしてワインを飲み、店を閉めた後でブラックはケヴィンを家まで送る。ダイナーでも、車の中でも、そして家に着いてからも、二人の距離はぎこちない。物語の最後で、ブラックは真情を告げる。ケヴィンはそれを受け止める。

 

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どこから「ネタバレ」なるのか分からず、自分にとっての適切な書き方ができずにいるけれど、こんな映画。

 

シャーロンとケヴィンがしたこと、二人の間にあったことは、現象だけみれば、子供同士の遊びだったり、性的な行為だったり、暴力だったり、料理をふるまうことだったりする。そこに、シャーロンの置かれた環境と、成長の段階と、心情が重なって、二人の心中に思いをはせると胸が締め付けられる。

 

大人になったブラックことシャーロンが、ものすごいいかつい見た目になっているにも関わらず、ケヴィンの前で目を伏せたり、自信のなさそうな表情をしたり、口数が少ないことを強気なセリフで隠そうとしたりする様子が、役者が違うのに「昔のままだ」と思わされるところがすごい。

 

強さって何だ。体を鍛えて、人からナメられない力を手に入れて、感情を出さず、ガチガチに自分を守れば、強くなれるのか。大人になったブラックは、強くなったのか。強いはずのブラックがケヴィンを前にして、昔のままのシャーロンに戻るのはなぜなのか。

 

ケヴィンが、「シェフの特別メニュー」として、シャーロンに料理を作る場面がいちばん泣けた。食べさせること。誰かの命を引き延ばすこと。その手段を、ケヴィンが手に入れていた。料理に心をこめられる立場になっていた。そして、それをシャーロンが身体に入れる。この行為の意味は、シャーロンにとっての救いであり、ケヴィンにとっては贖罪だと解釈した。

 

「食べさせる」って、愛情を表す手段の1つなんだ。相手に生きていてほしいから、食べ物を与えるんだ。

 

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昨日、長男の好きなツナマヨのおにぎりを4つ買ってきたら、3つ次男が食べてしまった。最後の1つを「お兄ちゃんに持っていってあげて」と頼んだ。次男は素直に「はーい」と言っていたけれど、長男、食べてくれたかな。無理やり食べさせることもできなければ、そこに込めた愛情を受け取ってくれる保証もないのだけれど。

 

思春期の入り口にいる長男が、強くならなければ、と思っているとしたら申し訳ないと思う。13歳は13歳で、それ以上にならなくてもよいのだけれど、もし、この家庭環境のせいで、自分は早く強くならなければならないと思っているとしたら、ごめん、と思う。

 

ツナマヨおにぎりくらいで許されるとは思っていないけれど。

 

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と書いていたら、この時間にまだパジャマ姿の長男がやってきた。なんだかちょっと太った?みたい。心配することないか~。少なくとも、飢えていないみたいだから。「あんた、この辺に肉がついたんじゃない?」と、私が顔に手を伸ばしたけれど、それを拒否しなかった。少なくとも、まだ私は嫌われてはいないらしい。