「楽しい」という感覚は本物
何が正しいか、というのは、人によって、時によって、環境によって、変わってしまう。誰にとっても正しいこと、というのが不変不動であるとしたら、裁判だって戦争だって起こるはずがない。
正しいことをするのは、時に疲れてしまう。正しいと思ってやっていたのに裏切られた、とか。正しいと思ってやっていたのに、結果が出なかった、とか。正しいと思っていたのに、人から否定された、とか。
自分で正しいと思ってしていたことでさえ、そうなのだから、世間や、他人や、世の中の空気や、そんなことに知らぬあいだに押し付けられた正しさに基づいて行動したら、もっともっと疲れてしまう。
だけど、楽しいと思ってしたことは、無駄にならない。「楽しかったんだからいいじゃん」。何も得られなかったとしても、後に誰かから批判されたとしても、楽しかった過去は、消えない。
誰かのために、正しいことをする。
自分のために、正しいことをする。
自分のために、楽しいことをする。
誰かのために、楽しいことをする。
この4つは下に行くほど強い、と、私は思っている。
楽しくないことって、続かないんだよ。いくら、正しくても。
そして、人間って、自分のためより、誰かのためのほうが、頑張れるんだよ。