リーダーシップ考

子どものころって、頭がいいだけで「班長」とか「級長」とかの「リーダー」にさせられることが多い気がする。ここでの「頭がいい」は、単純に「成績がいい」という意味かな。

 

思い返してみると、中学1年生のときに級長をさせられてたAくんは、全くもって級長には向いてなかった。だけど、頭がよかったから、級長をさせられてた。で、頭がよかったから、男子からは尊敬されてたし、女子も嫌う理由はなかった。

 

けど、同じように頭のいい生徒が集まるような高校に入って、まったくもって目立たなくなった。それこそが、彼らしい学校生活だったのだと思う。中学校生活で、いつも級長をさせられてたほうが心外だったのかも。

 

なぜそれを知っているかというと、私は同じ高校に進学したから。

 

私は、そこそこ頭がいい。級長にさせられるような男の子が入学するような、県内でも有数の進学校に入学するような女子ではあったけれども、それ以上に、昔からずっとリーダー気質なのかも、と今になって思う。実際、小学校、中学校では、ずーっとリーダーだった。級長、班長、部長、児童会長。生徒会長は、別の男子に負けたけれども。

 

私は妙に謙虚で、進学校に入学した以上、私より頭のいい女子は山ほどいるし、私がリーダーをやる必要なんてまるでない、と思って、級長も、部長も、もちろん生徒会も、何もせずに高校生活を送ってきた。大学時代は、そもそも組織に属することをしなかった。

 

社会人になってどうだったかというと、私はとにかく頭のいい人ばかりいる会社に入ってしまったのだよな…。しかも、頭がいいという意味がさらに限定されて、がり勉タイプというか、ひたすら勉強するのが苦ではない、運動とか遊びとかバカらしくてやってられない、みたいな人の多い会社に…。

 

そこから抜けて、父母会だのPTAだのボランティアだので、リーダーばっかりやってる。いろーんなタイプの大人がいる中で、けっこううまくリーダーをやってると思う。そして、社長という立場も。こちらは、ごくごく小さな規模の組織ではあるけれど。

 

私は、仮定でもリーダーになりたかったのだろうな。で、同じく覇権を手にしたい夫と、完全に対立してしまった。

 

まさに、鶏口牛後。どんな小さな鶏でも、私にはその頭でいることが心地よい。すごいイヤな女みたいだけど、正直な気持ちなのだから仕方ない。ずっとお山の大将でい続けたいのよ。