髪の毛にハイライトを入れた

数日前に、美容院へ行って髪の毛を染めました。白髪染めではありません。ヘアスタイルがあまり変わらず飽きてきたので、ハイライトを入れたのです。ハイライトを入れるのは2回目。今の私の気持ちは、

 

ちょっと明るくしすぎてしまった。

 

と、

 

ぎりぎり明るすぎず、いい感じ。

 

の間。

 

びっみょーに、明るすぎる気もするけれど、しかしこれより暗いままだときっともの足りない…もう少しだけ明るくしたかった…と思っただろう、という気もする。

 

となると、あとは自分の心持ち次第で、「しまった、ずいぶん明るくしすぎてしまった…」と後悔するよりは、「かなり明るいけど、ま、ぎりぎりOKでしょ。うん気に入った」と納得する方が精神的に気持ちがよいので、後者だと思い込むことにします。

 

もともと、私の髪の色は少し茶色くて、その色が気に入ってはいたのだけれど、今、ものすごいショートカットから髪の毛を伸ばしているところで、まだおかっぱの段階でヘアスタイルに変化がつけづらいので、カラーリングで気分を変えることにしたのでした。

 

髪の色を明るくするといっても、私は「赤毛」というのがあまり好きではなく、できれば「黄色い」とか「うす茶色い」とかの方向に変えたかったのだけど、初めてハイライトを入れる直前に、友人がフェイスブックでひとすじだけ真っ赤なハイライトを入れていて、それがすごくきれいだったので、「イエロー」と「レッド」、2種類のカラーをまぜて交互に染める、という判断をしてもらいました。

 

イエローとレッドのハイライト、って文字にするとどんだけ派手な髪の毛、って感じですが、別に、そこまで目立つ感じではなかったです。たぶん、言わなきゃ2色入ってるなんて分からなかったと思うし、しかも染めた日から時間がたつと、だんだん赤味は目立たなくなってしまっていた。

 

で、先日のハイライト2回目。違う色を入れてみる、という手もあったけれど、わりと前回の色味が気に入っていたので、ちょっと沈んだ黄色と、さらに濃い赤、をチョイスしました。

 

美容院で仕上がりを見た瞬間、うおおお、明るくしすぎた、と思ったけれど、数日たった今、ちょっと見慣れてきたせいか、まあいいか、と思えるくらいになってます。なんというか、髪の色は、ピンクに近い。ピンクの髪の毛って、これまた文字にするとめっちゃ派手な感じだけど、言われてみるとピンクがかっている、という程度で、私の似顔絵を描く人がいたとしても、髪の毛はふつうに茶色で塗ってもらえると思われます。

 

こんなのさ、写真撮ってアップすれば一発で全部伝わるのにね。そうしないところがテキストの面白さだと思うし、私はそれをやりたいんだよね。ブログでね。

 

おやすみなさい。よい週末を。

揺れて戻って思うこと

久しぶりに友人と話すと心が揺れる、ということが分かりました。

 

正しくは、久しぶりに会う友人が、お仕事がんばっていたり、キャリアを築いていたり、自分よりも安定な人生を歩んでいたり、そういう話を聞くと、心が揺れる、という感じでしょうか。

 

一人で勝手に生きてる分にはいいんですよ。比べる対象がありませんから。自分は自分で幸せだし、これで私の人生オールOK。そう思っていられるうちは、心は平穏です。

 

しかし、同年代の友人が、自分の知らない世界で知らない技術を身につけ知らないキャリアを築き知らない人たちに認められているのを知ると、うーん、そうかー、同年代の人たちはそういう人生を歩んでいるのかー、と思う。

 

で、私、こんなことしてる場合かな、と思う。

 

ひととおり思うだけで、結局は、「まあでも仕方ないか。私は私だし。がんばってないわけじゃないし」というところに戻ってくるので、本当に、揺れるだけというか、揺さぶられるというか、それで戻ってくるのだから良いようなものの、それでもやっぱり揺れる間はぐわーん、となります。

 

本当は、ぐーわんと揺れて、その揺れた勢いを利用して成長できたりするといいのだろうなあ、と思いますが。なんか、そういう方向にはいかない、今の私。自分のやりたいことだけ、やれることだけ、できることだけきちんとやって、行けるところまで行きたい、というのが今の私。

 

友人から「今のうさぎがいちばんしたいことって何なの?」と言われたけれど、正直、したいことなんてないです。いや、何度か書いてるけど、したいことをするためには、めっちゃがんばらなきゃいけないし、めっちゃ不安になるし、めっちゃ勇気を絞り出さなきゃいけないので、そんなことをするくらいなら、したいことなんてない、と言ってしまう方が、ラク

 

なにもかも、条件をとっぱらって、お金も時間も使いたいだけ使っていい、というのなら、見た目を変えます。毎日ジムに通って、もちろんパーソナルトレーナーをつけて、毎食、栄養管理士においしくて栄養のある食事を作ってもらって、ストレスなんて感じるヒマもないくらい、好きな映画を観て、好きな音楽を聴いて、好きなだけ運動して、がんがんに体をしぼって、超絶いいスタイルになって、さらにシミソバカスもぜーんぶレーザーで取って、ほうれい線もあごのたるみもすべて取り去り、さらに胸にシリコンバッグ入れますね。あと、永久脱毛も追加でよろしく。

 

書いてみて思ったけど、お金も時間も自由に使って、欲しい見た目を手に入れたとしても、じゃあそのあとどうするかって、それを人生が終わるまで続けなければいけないのだから、意味ないんだよな…。

 

ってなわけで、やっぱりやりたいことなんてない、ということになります。

 

とりあえずこの後、パソコンの電源を落として、家に帰ろう。

 

おやすみなさい。まだ寝ないけど。

 

よくもまあこんなことを書いてみる

おっはよーございまーす。うそです。今、時刻は夜の11時を少しまわったところです。今日は仕事がまあまあ忙しくて、ついさっき、帰ってきました。会社で歯をみがいてきたので、あとは、お風呂に入って寝るだけです。はい、今日もまた、お風呂のお湯をはっております。

 

私がこのブログを書き始めたのはもう2年ほど前になるかと思いますが、そのころのことを考えると、なんというか、悩みとか不安とか心配とか、そういうもので脳みそがぱんぱんで、とにかく毎日なにか言葉を吐き出さないとやってられない、という、そんな心持ちだった気がします。

 

私はポジティブなことであれ、ネガティブなことであれ、自分の精神状態を文字に表すのが好きなのですが、基本的にポジティブな精神状態であれば、Facebookでつながっている友人たちにたらたらと駄文を書き連ねていればよかったのですよね。2年前までは。

 

2年前くらいから、夫との関係は破綻するわ、会社の経営は傾くわ、慕ってくれる友人のことはうっとおしくなるわで、Facebookに心のうちを吐露できなくなり、匿名のブログを始めた、というわけです。

 

2年前は、ほんとつらかったわー。あのころと比べると、今は、ほんとに生きていることが気楽。ラク。らくちんです。

 

しかし、ブログの中身でいったら、2年前のほうが面白かったんじゃないか、とかそんなことを思います。だって、悩みや不安でぱんぱんの脳みその中身を垂れ流していたのですから。

 

今の私の脳みそはすっかすかです。お気楽な脳みそからは、お気楽な、どうでもいい文章しか出てきません。

 

それでもなんだか、毎日私が文章を書くたびにスターをくださる方がいらっしゃって、本当に、ありがとうございます。

 

あの、どこのどなたかは存じませぬが、あなたが生きているという証が、私のブログに残っておりますので。めっちゃ偉そうなんですけど、あなたが生きていてくれて、私は嬉しい。だって、スターの数が増えると嬉しいですから。

 

アインシュタインが、死とはモーツァルトが聴けなくなることだ、と言ったとか。ほんっとおこがましいんですけど、死んだら私のブログが読めなくなりますからね! 死ぬくらいなら、私のブログ読んでくれたらいいと思いますよ!!

 

って、ほんと、何様なんでしょうね。私。匿名だから、書けるんですよ。こんなこと。Facebookの友達に、こんなこと、絶対に書けないですから。

 

友達に、こんなこと書いてるってことがばれたら、それこそ私が死にたいですわ。たぶん死なないけど。

 

お風呂のお湯が入ったので、入ってきまーす。おやすみなさい。

脳みそがこんがらがっている

今日という日があと2時間で終わろうとしています。なんだか落ち着かず、お風呂に入る気が起こらないので、ここへ来ました。今日は、すでにお風呂のお湯は張ってあって、蛇口はとめてます。お湯はどんどん冷めるばかりです。でも、なんだかお風呂に入る気になれない。

 

理由は、お腹がいっぱいだからです。私、満腹の状態でお風呂に入るのがすごく嫌いなんです。水圧で苦しくなるような気がするから。あと、ぽこんと出たお腹を見るのがイヤだから。

 

なんだか食べ過ぎて苦しいです。さっきスーパーに行って、わらびもちがどうしても美味しそうで、買ってきて食べてしまったので、苦しい。

 

はあ。

 

今日という日があと2時間で終わろうとしているのに、こんなくだらないことを書いていて良いものだろうか。

 

だからといって、何を書けばくだらなくないというのか。何を書けば、お風呂に入る気が起こるというのか。

 

1日が、26時間あったらいいのに。あるいは、今がまだ午後8時7分だったらいいのに。

 

夜の10時を過ぎると焦る。もうそろそろ寝なければ、と焦る。本当は、明日の朝、5時に起きたいのだ。

 

毎日毎日そう思って、そんなに早寝はできなくて、寝るのが12時近くになり、翌朝起きるのは7時ごろ。

 

しかし、朝5時に起きて何をするというのだ。朝の5時から7時まで、だらだらとスマホを見続けるなら、夜の8時から10時までだらだらとスマホを見ていたって、同じことだ。

 

スマホを見る時間を減らしたい。スマホを見る時間を減らして、何をするというのだ。

 

誰かに手紙を書きたい。びんせんに、手書きで。手書きの文字で、手紙を書きたい。

 

などと思うものの、返事が来たらそれはそれでめんどくさい。だいたい、誰に何を書いたら自分で満足するのだか、さっぱり分からない。

 

ちょっと、脳みそがこんがらがってる感じがしますね。文字にすると、自分の精神状態がよくわかっていいですね。

 

今日は、1000字を書くのに、けっこう時間がかかっています。くだらないことを書く、思うがままに書く、というのはいつも変わらないのですが、それでも、くだらないことがすらすら出てくるときと、くだらないことさえちっとも出てこないときがあるのです。

 

今、ふとどこか公園に遊びにいったときのイメージがよみがえってきました。まだ、夫とも仲良かったころです。いえ、仲良い家庭のイメージを保っていたけれど、私の心の中は平穏ではありませんでした。そのころの、風景と、心象が、ふとよみがえってきました。何年前のことだったか、あれはどこの公園だったのか、何歳の子どもたちが一緒たのか、さっぱり思い出せません。ただ、自分の中にあるイメージだけが、ふとよみがえりました。

 

はあ、疲れてんのかな、私。お風呂入ってこよう。

 

おやすみなさい。

 

ごきげん伺いと食器の話

特別な主義主張やさしたる理由があってブログを書かなかったわけではないのですが、なんとなく書けない日が続きました。皆さま、お元気でいらっしゃいますか。私はすこぶる元気です。

 

特に何をするでもない10連休でありながら、それでも仕事をほとんどしていない10連休であります。10連休というのは世間様にとっての10連休であって、私は実質連続した休みは8日間ですが、そんなことをいちいち説明するのは野暮というものです。

 

自分の連休の何日目だったかも忘れましたが、かっぱ橋道具街へ行って、食器を買いました。明らかに、ジョヴァンナさんの、

something-new.hatenablog.com

の影響です。いつだったか、ちゃんと食器を選びたくて、かっぱ橋へ行ったみたいな記事を拝読して、いいな、と思っていたのです。

 

我が家には1枚だけ、入手方法も入手時期も不明のサラダボウルがありました。それ以外の食器は、自分で楽天で購入した2つそろったスープカップ、とか、100均で買った3枚色違いのプレート、とか、ずっと前からいいなと思っていたのをフリーマーケットで見つけて喜びいさんで買ったレンコンの柄のカレー皿3枚、とか、マンションのごみ置き場に置いてあったのを拾ってきた二組のお茶碗、とか、とにかく、自分の意志で自分の台所に所有している、というのがはっきりした食器ばかりだったのですが、その、1つのサラダボウルだけが、いつから、なぜ、どのようにして我が家の食器棚に来たのか、不明なのでした。

 

大きさといい、深さといい、ものすごく使い勝手が良いにもかかわらず、私はこのお皿を使うのがどうにも心地悪くて。

 

自分の意志で選んだものではないものが自分のテリトリーにある、というのが、私はどうにも気持ち悪かったのだと思います。あと、1枚しかないというのも、なんだか不安だった。出自が分からなくて気持ちが悪いくせに、1枚しかないから、使って割れてしまったら替えがない。

 

あと、たまーに子供たちがきて料理を出すときにも、1枚しかないお皿は使いづらい、というのもありました。

 

まあ、そんなわけで、とにかくそのサラダボウルの存在が、気持ち悪かったのです、私は。

 

なので、それに代わる食器を買いに、かっぱ橋まで行きました。

 

GW中でしたが、4割くらいのお店が開いていました。お店は開いていて、人はがらがらに空いていました。なので、ものすごくゆっくり選んで見て回ることができました。

 

私が欲しいと思っていたサイズは、特段かわった種類の食器でもないと思うのですが、6軒くらいお店をまわって、初めて見つけました。和食器のお店で、なんだか老舗っぽい店構えのお店でした。飲食店の常連さんみたいなおじさんが、「この前買っていったの、もう2,3枚追加できない?」みたいな交渉をしてました。プロの方も買いに来る店。

 

結果、納得したサイズと柄のお皿を2種類2枚ずつ、計4枚と、箸置き4つとピーラーと、娘にクッキー型のお土産を買って帰りました。

 

食器探しをしてみて思ったこと。

 

・私は料理にも食べることにも興味がないが、食器は好きだ。

・私は家にものが増えることが大嫌いだが、焼き物が好きだ。

・私は家では米飯をほとんど食べないが、お茶碗が大好きだ。

 

こういう矛盾だらけの人生に折り合いつけて生きていかなくてはならんのだな…と、あらためて自分のなかの好き嫌いを見つめなおしたわけですが、我が家には納得して買った食器が増えて、私は幸せです。

 

おやすみなさい。

 

 

体を洗うときに使うもの

突然ですが、皆さん。皆さんはお風呂で体を洗うとき、何を使っていますか? タオル? 手ぬぐい? 体を洗うために作られたタオル? 体を洗うために作られたスポンジ? それとも食器を洗うために作られたスポンジ?

 

10連休に突入したことも、まもなく平成も終わろうとしていることも、全く関係なく、今日も好き勝手にくだらないことを書きます。

 

体を洗うとき、何で洗うか、という話でした。私は、といえば、体を洗いません。というのは半分ウソですが、ほとんどまじめに洗っていないので、何も使っていないようなものです。湯船にゆっくりつかれば、たいていの汚れは落ちるはずです。石鹸の類をいっさい使わない、湯シャンの人もいるという話ではないですか。私は思い切り添加物(?)てんこもりのシャンプーは使いますけど。

 

しかし、考えてみても、私、あんまり真面目に体を洗ってないのですよねえ。頭を洗って、そのシャンプーの泡が体を流れていくくらいで、そこまで必死こいてこすったりしなくても大丈夫なんじゃないか、という気がしてしまって。

 

ただ、ときどきあかすりをします。あかすりをすると、あかが出ます。体が汚れている、というのと、古くなったあかがついている、というのは同じでしょうか。違いますでしょうか。

 

本当は、こんなことを書こうと思ったのではないのです。新しい体を洗うためのネットが欲しい、と書きたかったのです。例によって例のごとく、今、お風呂のお湯を張っているのですが、お風呂場に置いてある体を洗うためのネットをくしゃくしゃとまるめて縫ってあるやつ(なんていう名前かわからない)が、だんだんほつれてきて、ただのアミになりかけているので、あんまりこれを使うのが楽しくないのです。

 

この、体を洗うためのネットのボール、使い始めたころは、その泡立ちのすばらしさに感動したものです。毎日、体を洗うのが楽しくてしかたありませんでした。毎日毎日、ボディシャンプーをぼっこぼこに泡立てていました。

 

今は、その楽しさがありません。お風呂場にあるのは、石鹸と、よれよれのアミです。石鹸は、いいんです。最近は、ボディシャンプーよりも圧倒的に安くて、なんだか自然な感じがする石鹸が、好きです。ただ、アミはいただけません。よれよれのアミが、私のテンションを下げます。

 

新しいネットボール(っていう名前かどうかは知りません)を買えばいいのだけれど、なんだかそれももったいなくて、さっき、やたらと余っていた台所用のスポンジを使ってみようかな、と思って、さすがにタワシみたいな部分はお風呂場に置いておくのはやめよう、と思ってカッターで切り落としたのですが、切り刻んだ台所用のスポンジは、よれよれのアミよりさらに私の心を沈ませたので、そのままゴミ箱へ捨てました。

 

お風呂、入ってきます。皆さま、よい連休を。

 

かかえているリスクと寂しさ

最近、なんだかちょっと忘れっぽくてですねえ。昨日の夜は、ネットサーフィンしてたらじゃばじゃばじゃばじゃば…と水の音が聞こえてきて、「うおおおおお、お風呂のお湯を入れてたの、忘れてたあああああ!」となりました。じゃばじゃば…は、お湯が湯船からあふれた音でした。ああ、そういえばこれも忘れてたけど、そんなわけで今日、家に帰ったら昨日のお湯がまだ湯船に残ってるんだわ。流すの、もったいなくて。

 

ブログのことも、布団に入ってから、「あ、そういえば今日ブログ書いてない」って思い出す日が何日か続いて、こんな感じです。

 

ま、お風呂のお湯はともかく、ブログは誰に頼まれて書いてるわけでもないのでね。

 

私の中で、ダメダメな部分ってものすごく多いのですが、他人からはダメダメには見えない部分もたくさんあるようで。万人から信頼を得られるなんてことは申しませんが、この人からは信頼してもらいたいなあ、と思う人には、信頼してもらっている、ような気がします。いや、どうかな。そうでもないかな。と、またすぐに反例を思いつく。

 

うむー。

 

30代のころの私は、なんであんなにやりたいことがたくさんあったのだろう。いつも、時間がなくて、寝不足で、足りない、足りない、と思っていた。

 

今は、自分の人生を持て余している。やるべきことはたくさんあるけれど。集中力も続かないし。まあこんなもんでいいかな、と思ってしまうタイミングが、すぐに来てしまう。年をとった、ってそういうことなのかな。

 

ふう。ひとつずつを片付けていくしかないのだ。そのひとつずつのスピードと、密度を上げていくしかないのだ。

 

やりたくないことは、ひとつもやっていない。趣味も、休息も、仕事も、自分がやりたくてやっている。誰かにやらされていること、やらざるを得なくてやっていること、そんなことに人生を使うのはもったいない。

 

楽しみつつ、休みつつ、やりたいことで、人生をうめていけたらいいなあ。こうして、好き勝手に文章を書くことも含めて。

 

やりたいこと、の中に、会いたい人と会う、っていうのが含まれていないのが、そういえば、ちょっと寂しい。今日、旧い異性の友人が、遠方から私を訪ねてきてくれた。彼は、私に会いたいと思ってくれたのだろうな。うれしいことだ。

 

私の会いたい人って誰だろう。会いたい人はいるけど、いろいろリスクが…って、まあいつもこの話ばかり書いてますね。リスクを避けてでも守りたいものがあるってことが、たぶん今の私の幸せ、なのでしょう。

 

おやすみなさい。(まだ寝ませんけど。)