ヨーロッパ某国にて思うこと

うふふ、唐突ですが、ヨーロッパの某国に来ておりますよ。仕事です。そういう類の仕事をしているのです、私は。たぶん。

 

こちらはまだ夜明け前の時間ですが、たぶんもう寝られないので、パソコンを開きました。パソコン、持ってきましたよ…。仕事ですからね。たぶん。

 

外国旅行が唯一の趣味みたいなもの、のつもりでしたが、正直、今回のフライトはきつかった…。映画も、見たかったのがたくさんある!と思ったけれど、見ていると気持ち悪くなってしまって、2本しか見られなかった。2本見たら十分でしょうか。そうですよね、はい。欲張ってはいけませんね。

 

機内食も、着陸前の軽食はほとんど食べられなかった。出されたものは残さず食べる、とか、もったいない、とかいう気持ちを捨てないと、この先、内臓がやられると思っています。これまでの美意識とか、世間様のご厚意とか、サービス合戦とかに、振り回されてはいけない。私の体内を守れるのは、私だけだ。だから、あえて、機内食はほんの少し食べただけで、勇気ある撤退をしました。

 

そしてそろそろお腹がすいてきた。朝食が楽しみだ。いいことだ。

 

飛行機の中で、少し頭が痛くなりかけて、薬は預けてしまったトランクの中だったので、一瞬、不安におののいた。何か月か前に私を襲った死ぬかと思うような頭痛に、こんな飛行機の中でまた襲われたらどうしよう、と。

 

ちなみに、旅行も仕事も、ずっと一人です。飛行機の席は、左が高齢の、右が初老の、白人の男性でした。死にそうに頭痛くなって意識を失ったりしたら、たぶん助けてくれただろうとは思うものの。

 

とここで、まだ籍を抜いていない夫が飛行機で隣にいて頭が痛くなったシチュエーションを思い描いてみましたが、なんか、夫よりも見知らぬ、言葉も通じるかあやしい外国人男性が隣にいるほうが安心できる、という気がしてしまいました。そこまで、私と夫の関係は破綻していたのだ。

 

ああ、もう。なんで私はこんな遠い外国にまで来て、夫のことをディスらなければいけないのだ。心を穏やかに保つというのは、難しいものですなあ。

 

というか、ひとりが本当に気楽すぎて、私はきっとこのままひとりなのだろう、とあらためて思う。飛行機に乗っていても、まわりはほとんどカップルとかファミリーとか団体ツアーとかで、ひとりで移動している私は珍しい。私にとってはひとりでいることがいちばん心が落ち着くのだけれど、それってもしかしたらあんまりマジョリティではないのかも、と今さら思った。そして、マジョリティであるべきだという気持ちも、私は完全になくしている。

 

ビバおひとりさま。

 

買っていないものと買ったもの

こんばんは。うさぎです。

 

久しぶりに、会社のパソコンから書いています。最近、夜遅くに長男が遊びにくることが多いのですよ。そして私は、最近、朝早いことが多くて、長男が帰っていくまで待ってられないので、長男には好きなだけうちにいてくれていいから、出てくとき鍵かけて帰ってね、みたいに先に寝てしまうことも多く。長男がそばにいると、このブログは書けないし、書きたくないし、書いてるのがばれたら恥ずかしいし、ばれないように書くなんて緊張していつもみたいに気楽に書けないのはいやだし、というわけで、ひとりになった会社で書く。

 

前回の投稿で、買いたいものがたくさんあったはずなのに、と書いていて、そのあと、ブログではなくて紙のノートに向かい合ってみたら、やっぱり欲しいものがたくさん出てきた。その後も、思いつくたびに書き留めていたら7つくらいになった。そのうちの5つくらいを既に買ったと思う。

 

買ってないのはフライパン。フライパンが欲しいのです。うちのガスレンジのコンロ(わりと古いものです)は、上に何かが載っていないと火がつかない仕組みになっていて、それを計るためにちょっとしたバネみたいなのがついているわけですが、安物のフライパンを買ったら、軽すぎて、バネが上がってしまうのです。

 

「何も載っていない」と認識されて火が着かない、なんてことはないのですが、フライパンが傾いて、油をしいてもものすごく片方に偏ってしまう。だいたい、見た目からして、コンロに載せられたフライパンが傾いているというのは、ものすごくイライラします。コンロに載せられたフライパンが傾いていてもイライラしない人もいると思いますが、私はイライラする人なのです。コンロに載せられたフライパンは水平であってほしい。

 

そんなわけで、そのうちのフライパンを買うかもしれません。

 

買ったのは、化粧水です。これまで私、しばらーくの間、化粧水を使っていませんでした。別に、外国人は化粧水使わないらしいし、化粧品会社に踊らされてるだけなんじゃないのー?と思って、ここ数年、使っていなかった。

 

んですが、シミ・そばかすがかなり気になってきて、化粧水をしみこませたコットンでぱたぱたやる、というあのケアを、もう一度やってみたくなってきたのです。

 

効果があるのかどうか、分かりません。しかし、気は心と言いますか。

 

と、ここまで書いて、ああああああ、そういえばこの前のブログにエスケーツーが欲しいとか書いたわ、私!と思い出しました。自分の書いたことに無頓着すぎる。

 

買ったのはエスケーツーじゃありませんよ。500mlで800円くらいの、やっすいやつです。でも、なんか効きそうな気がしてます。これで本当に肌がちょっとでもきれいになったら、800円のコスパはすごい。

 

はー、なんか、わざわざシークレットウィンドウまで開いて、くっだらないこと書いてんなー。私。

 

読んでくださり、ありがとうございます。

 

欲しかった私が消えてしまった

今日、久しぶりにちょっと大きな買い物をしました。何を買ったかはナイショ。金額は3万円前後です。前後って何やねんって感じですが、本体価格は3万円弱で、消費税を入れて払った金額は3万円強なので、「3万円ちょっと」と書くと、いやいやあなた値札の28,900円を見て決意したでしょ、と自分に突っ込み入れる人が表れて、だからといって、「28,900円でした」って書くと、いやいやいやいや、払った金額は3万円超えてるでしょ、って心がざわざわしたのです。

 

だからといって、最初から細かい数字を書くことにも、あんまり意味がないと思ったのでね。すみませんね。さらに意味のないことを、2段落も使って書いてますね。私はさらっと、「3万円くらいの大きな買い物をした」ってお伝えしたかっただけなんです。

 

欲しいものが、たくさん、たくさんありまして、ねえ…。どこかでいちど、書き出してみようと思っていたのですが、まず、

 

エスケーツー。

 

化粧水です。知る人ぞ知る。っていうか、みんな知ってる? これ使ったら、本当に肌がきれいになるのかなあ? 私はレーザーでしみをとったこともあるので、本気の本気でしみを取りたかったら、レーザーで手術するに限る、と思っているのですが、本当に肌がきれいになるのであれば、エスケーツーの方がまだ安いし、それに、かさぶたができたり、まわりから「うわ、プチ整形!?」という視線を浴びずに済むので、わりとメリットが大きいのでは、という気がします。ところで、プチ整形って言葉、最近もうあまり聞きませんね?

 

欲しいもの、その2。

 

大ぶりのピアス。

 

少し前まで、耳の下半分が出るくらいのベリーショートだったのですが、飽きてきたので髪を伸ばしています。そしたら耳が隠れてしまって、ピアスが見えない。なので、大きなピアスが欲しいのです。

 

欲しいもの、その3。

 

コート。ウールのコート。去年は、ナイロンのカジュアルなもの1着で冬を乗り切ってしまったが、今年は絶対に、仕事の取引先に着ていける、スーツの上に羽織って似合うような、大人な感じのコートが欲しい。これはわりと死活問題である。

 

欲しいもの、その4。

 

ワンピース。ごめんなさい。嘘です。今、作りました。実は、その3のコートも、死活問題だとか言いながら、そこまで欲しいと思っていたかどうか、疑問。

 

なんとなく、欲しいものがたくさん、たくさん、あると思っていて、いつか書き出してみたい、と思っていたのだけど、いざこうして書き出してみたら、エスケーツーとピアスしか思い出せなくて、愕然としています。

 

たぶん、今日買ったものが3つ目の欲しいものだったのだと思います。人間は3より大きい数字を「多い」と認識するのだそうです。だから、欲しいものが3つあったときは、欲しいものがたくさんある、と思っていた。けど、今日、そのうちの1つを買ったから、欲しいものはあと2つになった。欲しいものがたくさんあった昨日までの私は、今日、消えてしまった。

 

おやすみなさい。

 

追伸

思い出した。新しい年の手帳が欲しいと思っていたのだった。欲しいものがたくさんある私、復活。

 

 

 

プレッシャーを感じつつ書く

どうも。うさぎです。

 

まー、なんだかんだ言って、世間ってやつは良妻賢母が好きだからねー、と、以前、妻であり母である友人とぼやき合っていたのを、よく覚えています。その頃は友人も私も、良き妻、良き母といった女性像から、はみ出したくて、逃れたくて、世間様に対するちょっとした反抗期みたいな感じだったのですが、まあ、思春期の反抗期と同じようにかわいいもんで、仲間内できゃんきゃん吠えてはみるものの、息子や娘を捨てることもなければ家事をほっぽりだすわけでもなく、蒸発や駆け落ちをするわけでもなく、坊主頭や金髪にしてみたりさえすることもなく、友人も私も、結局はまだ民法的に「妻」であり「母」であるまま、年を取りつつあります。

 

私はその後、別居に至ったけれど、友人のところはどうなってるんだろうな。SNSで繋がってはいるけれど、わざわざ会って、ネットに書き込めないような実情まで聞くようなタイミングも必要性もなく、なんとなく、どうしてるかなー、と思ってるだけ、の状態。

 

まー、なんだかんだ言って、世間ってやつは良妻賢母が好きなんですよ。こんなわがままで自堕落で、夫に子どもを押しつけて家を飛び出した(という風に解釈しようと思えばできないことはない)私ですが、やっぱり子供を愛しているというところで、読者の皆さんは安心されるのではないかな、と。

 

これが、骨の髄まで身勝手で、子供のことなんて心底うるさいとしか思ってない、みたいな女だったら、きっとあんまりこのブログも読んでいただけないのだろうな、という気がします。

 

あ、別に、読んでいただくためにいい母親だってことをアピールしてるつもりはないですよ。そうではなくて、事象の順番が逆で、私が私で素直に自分のことを書いて、そんな自分のことを好きだと思っていられる文章について、読者の方からスターをいただける、というのが、とても嬉しいわけです。

 

私は私で、やっぱり良妻賢母が好きなんでしょうね。いや、良妻はもう、要らないな。死んでも今の夫の良妻になんて二度となるものか。がはは。

 

賢母、賢い母。子供たちから「俺の/私の母さんは賢い」と思ってもらえてたとしたら、嬉しいな。だってそれは、私自身が、子供たちから賢い母親だと思ってもらえるように努力しているつもりだから。

 

まずは自分がなりたい姿になれていること。それを、適切な表し方でまわりの人に伝えることによって、周囲にもそれでいいと思ってもらえること。

 

なんだか今日はひじょーに自画自賛な投稿になってしまいました。スターをたくさんいただいた後は、なにげにプレッシャーなのです(笑)。

 

 

 

息子に言われて嬉しかった言葉

新しく読者になってくださった方がいるから、というわけではないのですが、私はいつも、なるべく読んでくださる方に分かりやすい文章を書きたい、と思っています。

 

とは言え、いつもいつも自己紹介から書くわけにもいかないので、私の置かれている状況が分かりづらかったり、独特の書き方でイヤミなんだかジョークなんだかわかりづらい、ということがあるかもしれませんが、それはまあ、お許しください。

 

なんかまわりくどい書き出しになってしまいました。

 

ときどきここを訪れてくださっている方はご存知の通りですが、子ども3人いるのですが、夫とは別居しています。子どもたちは基本的には夫と暮らしていますが、ごくごく近所に住んでいるので、本当にしょっちゅう子どもたちはうちに来ます。離婚しないのは、条件が合わないからというのと、わざわざ離婚して親権を手放すよりも、このままの状況で子どもといつでも会える(子どもたちもいつでも私に会える)状況にしておいたほうがいいのではないか、という判断です。

 

ほぼ完全な別居状態になって、まもなく2年です。その前の1年くらいも、我慢できる部分だけは一緒の空間にいたり、夫が留守の間だけは家事を手伝ったり、していましたが、徐々にフェードアウトするような感じで、もう絶対に関係は修復できないだろう、というところまで来ました。

 

いや、えーと、私たち夫婦の話はいいんです。正直、今の私はだんだん憎しみも薄れつつあり、わざわざ離婚する必要もないか、という感じで、一言でいえば、無関心です。あー、そういえば私、まだ夫がいたわ、みたいな。

 

私が離婚を決めた3年前から今までの間に、子どもたちの状況もものすごく変わりました。それこそ、このブログを書き始めたころの長男は、ものすごい勢いで自立しはじめていて(中学校に入学したというタイミングもあったと思うのだけど)、ああ、一緒に住むことのできない私は、もう母親としてこの子にかかわってやることは一生できないのだな…と、さみしい思いをしていた気がします。「さみしい思い」と書くことで、あのとき感じていたのはさみしい思いだけではなく、焦りや、後悔や、あきらめや、愛しさや、それでも自分の信念は曲げられないという決意や、そういういろいろなものが混ざっていた、とも思っているのですが。

 

いずれにしても、ああ、私はもう母親ではなくなってしまうのだな、と、思っていました。何もしてやれることがないのだな、と。

 

ですが、今日、中2になった長男が遊びにきて、漫画『メジャー』を買いたいと言い、中古を探しつつ、「いやいや、買うわけじゃないからね」「えー、買ってよ。ちゃんと勉強もするから」「ウソだね。今でさえiPadばっかりのくせに」などと、買う、買わない、の交渉をしながら、そうは言っても私もお金ないしなーと思って「あーもう、私はいつまできみの子育てをしなきゃいけないんでしょうね」と言ったら、すぐさま「ずっとだよ(怒)!」と言ってくれたのです。

 

何でしょう。うれしい。私、まだきみの子育て、していいのね。ありがとう。

 

漫画は買いませんけどね。

私は私で老いていくのみ

私は今43歳なのですが、40代ってホントに、体力や身体能力の衰えが著しい、と思います。ずーっとずーっと元気なつもりでいたのに、朝、起きられないし、体が固くて、床に落ちているものとかを拾うのがしんどいし。

 

そして、私の場合、胃が弱くなった、と思います。ごちそうが、ごちそうではなくなった。目と口は食べたがるし、食べてしまうこともできるのだけど、その後で苦しむことになる…。昨日、遅くまで会社にいたので、夜食みたいな時間にコンビニでシュークリームを買って食べたら、家に帰って布団に入ってから、胃がしくしくというか、きりきりというか、なんかイヤな痛み方をして、あー、もうシュークリームも食べられないのか…、と悲しくなりました。

 

元気な人はいつまでも元気だし、人生に遅すぎることなんてない、と思いたい気持ちもあるけれど、でも、やはり心と体の変化があるということを、認めなければ。認めなければ、っていうか、あるんです、それは明らかに。あるんです、と思うと同時に、あるんですよ、と自分に言い聞かせる気持ちと、あるってわかったんですよ!とお知らせしたい気持ちと。

 

若いころなら楽しめたんだろうな、ってことは、つまり、もうこの先、私はそれを楽しむことはないんだな、と認めることでもあり、そこに、抗いたい気持ちも、あります。

 

それは、抗える可能性があるから抗いたいのであって、抗えない、と分かっていたら、もう抗わない。

 

たとえば、この先また妊娠する、とかね。それはない、と思っている。そこに抗う気持ちは、ない。(やっぱりもう一回妊娠したい!とか? ないない。絶対ない。)

 

バスケも、たぶん、ないな。私は中高でバスケ部で、社会人になってからも、けっこうやっていたけれど。なくていいな。

 

スキー? スキーか…。これももう、やらないかもなー。少し前までは毎年、ゲレンデに行って、バッジテストも何回か受けたくらいなのに。

 

恋愛? ミニスカートと比べたら、恋愛はまだ、可能性がある気がする。ミニスカートは、もうこの先、はくことはないでしょう。はいたら犯罪だ。世間的に、はいてはいけないような気がする。

 

徹夜も、もう無理だろうな。どんな状況だろうと、眠ってしまうと思う。

 

体型も、少しずつ変わっていって、もう絶対にあの頃の体型には戻れない、というところへ向かっているのだろうな。

 

あー、あと、白髪。白髪が増えてきましたよ、とうとう。まだ、目立つほどではないけれど、そのうち染めたりするのかなあ、私も。

 

初老。なんて適切な言葉でしょう。初めて、老いを意識する。

 

初めてがあるということは、二度目、三度目もあるということで。これから、私はきっと、老いをたくさん、たくさん、経験していくのだろうな。生きているということは、時間を巻き戻せないということだから、仕方ない。生きていくしか、ない。

 

ほんの少しの違和感を克服した話

少し前にコーヒーの粉が切れて、その日に行ったスーパーで適当なものを買ったら、あまり好みの味ではなくて、それでもコーヒーを飲みたいと思うのだけど、淹れてもやっぱりあんまりおいしくないな、と思ってしまって、マグカップ1杯分を飲み切れずに残してしまう、ということが続いていた。

 

妥協してコーヒー豆を買ってしまった自分が腹立たしくて、いっそのこと捨ててしまって新しいコーヒー豆を買いなおそうか、とも思ったのだけど、捨ててしまうのはあまりにもったいなくて、でもやっぱりコーヒーを淹れてもおいしくなくて、イヤな気分を味わい続けていた。

 

砂糖とゼラチンを入れてコーヒーゼリーにして食べようか、とか、チョコレートシロップが冷蔵庫に入っているからまぜて溶かしてカフェモカ風にしようか、とか、考えてはみたけれど、それは私の「おいしいコーヒーを飲みたい」という希望とは違うもので、単に「うっかり買ってしまったおいしくないコーヒー豆を捨てるという罪悪感を引き受ける代わりになんとか消費したい」という希望を叶えるものでしか、ない。

 

私はおいしいコーヒーを飲みたいのだ。自分で淹れたおいしいコーヒーを飲むというのが、私のやりたいことなのだ。

 

そしてまた少し前のある日、この日は仕事の営業で出かけたのだけれど、なんとその営業先が定休日で、完全な徒労だったのだけど、その徒労をごまかすために、隣で開いていた雑貨店に入って、ほとんど衝動買いのように、コーヒー豆を入れておく缶を買った。それまで、コーヒー豆は袋のまま、なるべく空気をぬいて、セロテープでとめて冷蔵庫に入れていたのだけど。

 

営業の仕事がうまくいかなかったという失敗をごまかすための衝動買い、ヤケ買い、だったけれど、そのついでにスーパーで違う種類のコーヒー豆を買った。今度は、ちゃんと自分が好きそうな豆を買った。

 

そして、家に帰って、冷蔵庫に入っていたおいしくないコーヒー豆を缶に入れて、新しく買ったコーヒー豆をブレンドした。うすい茶色と濃い茶色が混ざった。

 

スプーンでざっくりとまぜて、コーヒーを淹れてみたら、とてもおいしかった。好きだと思えなかった豆を捨てなくてよかった、と思った。ヤケ買いで買った缶まで、とてもかわいらしいと思えるようになった。

 

ほんの少しの違和感を、克服した満足感は、思いのほか大きい。大したことではないけれど、違和感にふたをせず、我慢を続けるのではなく、自分の力で状況を変えられた、ということに、私はおおげさなようだけど、誇りを感じている。今は、コーヒーを淹れるたびに幸せ。