リズムとバランスとアートとビジネス

暑くなりましたね。寒いのはとことんダメですが、暑さにはめっぽう強い私。ですが、冷房をつけています。我慢する必要はないのです。手に入る快適さは、どんどん追い求めたらよい。誰かに遠慮する必要なんてありません。

 

エアコンが、ぽたぽたと音を立てます。内部で水が落ちる音がする。これがなかなかリズミカルで、じっと聞いていると、さぼらずきちんと同じリズムを刻むので、あんたけっこう律儀ねえ、と思う。

 

リズムのよいものが好きです。踊れる音楽が好き。ジャズとか聞いてると、ノリノリで体を動かしたくなります。ずいぶん前に、ドラムラインの公演を会社の有給休暇とって一人で見にいって(そのころはまだ子供が小さかったので、夜に出かけにくかった)、お客さんたちがみごとに年配者ばかりでしたが、私はたったひとり、立ち上がって、踊りながら楽しんでました。けっこう前の方の席だったということもあるけれど、私の視界に入るなかで、立ち上がっている人は私以外誰もいなかった。振り返って、ほかに立ち上がっている人がいるかどうかは、怖くて確認しませんでした。あのとき、もしかしたら東京フォーラムのホールで立ち上がっていたのは私ひとりだったのかも。

 

リズムのよいものと、バランスのとれたものが好きです。振り切っちゃっているものはあまり好きではない。極端にするのは、わりと簡単なのではないか、という気がしてしまう。それよりも、均整のとれた美しさとか、ぎりぎり品が悪くなりそうなところでとどめている計算高さとか、そういうものに惹かれます。

 

以前の私は「イラストレーター」と「デザイナー」の違いも分かっていなかったのですが、私は「デザイン」するのが好きです。イラストは完全にアート=表現者のためのものとして成り立つけれども、デザインは、デザイナー以外の誰かのために役立たせるのが使命なので、その意味では完全なるアートではなくて多少なりともビジネスの要素が入ってくるのではないかいうのが私の持論です。

 

その意味で言うと、イラストは誰にでも書けるけれど、デザインには技量が必要。デザイナーになりたい、と思ったこともあったけれど、いや、過去形じゃないな。もしかしたら、これからまだデザイナーを目指すかもしれないけれど、私がデザインに惹かれるのはそれが理由です。

 

自分自身のためだけに生きていくのって、つらいのだ。いつも、だれかのために生きていたい。自分は誰かのために役立つ人間だと思っていたい。

 

私はさみしがりだから。だから、アートではなくてビジネスが好きです。お金が好きなわけではないのよね。

 

おやすみなさい。

すべてうまく行くことはない

実はここ数日、体重が減ってすこし喜んでいたのだが…、今日、また食べてしまった。とほほ。

 

すべてがうまくいくって、難しいなあ。あれがうまくいけば、これが不調になり。こっちがうまくいけば、あっちでミスをし。

 

すべてがぴったり、順調、よしよし、みたいな状態を体感したいわ~。その状態は、たぶん3か月くらいしか続かないのかもしれないけど。

 

つねに、つねに、その最良の状態を目指して、微調整、微調整で暮らしていくべきなのかな。まあ、今それをやってる最中だ、といえばそうなんだけど。

 

また膀胱炎になっちゃいました。なぜか薬が全然効きません。そのうち血尿になるのではないかと思うほど。

 

23,4歳のころ、血尿が出て、びっくりしました。そのとき、初めて膀胱炎になって、それが膀胱炎だということに、私もお医者様も気づけなくて、性病(笑)の治療をしているうちに、膀胱がたいへんなことになって、血尿が出ました。

 

いやー、あのときは、ショックだった。自分の体が、体験したことのないふるまいをすると、けっこうびっくりしますよ。

 

あれほど、自分の体の反応にびっくりすることは、その時以来なかった気がします。血尿に比べたら、妊娠、出産は、覚悟の上でしたことでしたからね。

 

やっぱ人間、事態の深刻さよりも、自分がコントロールできているか、できていないか、が大事なんじゃないでしょうか。

 

ブログを毎日1000字書く、なんて、なんの自慢にもなんの実績にもなりませんが、自分でそれをやると決めて、自分自身をコントロールして実行していると、それなりに達成感がありましたしね。

 

眠いです。えええええ、もう1時なのか!!! びっくり。

 

ふらふらとネットをさまよっていたから、いけないのですね。これ、いちばん時間が早く過ぎ去ってしまう、人生の使い方です。

 

否定はしませんけど。ネットサーフィン、楽しいですよね。

 

明日は何をしようかなーーーー。さっき、あ、これだけは明日やろう、と決めていたことがあったのに、もう忘れてしまった。書いておかなきゃ、何もかも忘れてしまう。

 

あああああ、思い出しました。ケンタッキーの無料クーポン。明日(今日)が期限だから、商品をもらいにいかなくては。もらわなくてもいいんだけど、やっぱりもらわないと損した気分になる。

 

これは、欲望ではなくて執着ですね。手に入るはずのものが入ってしまったがために、とらわれる。

 

無料のチキンをもらいに外出するか、ネットサーフィンするか。けっこう迷う問題ですね。(迷いませんけど。)

 

おやすみなさい。支離滅裂でごめんなさい。

余裕がないのか

おはようございます。気持ちがブログに向きませんが、元気です。元気なのかな? 疲れてるかも。でも、特になにか、傷ついたり悩んだりはしてないです。やらなきゃいけないこととか、決めなきゃいけないこととか、努力しなきゃいけないことが多くて、追われている感じ。

 

こなしていかなくてはなー。そして、あふれてしまうのなら、何かを減らさなくてはなー、と思います。

 

金曜日。がんばりましょう。

 

大丈夫です泣いていません

また昨日もブログが書けなかった。

 

ちょいと、夫ともめましてね。

 

2年ぶりくらいに顔を合わせて話をした。

 

所有している不動産のことで、お金を払えだの払いたくないだの払えないだの払わないだの、そんな話。

 

相も変わらず全くもって話が通じない、つまり話し合いにならないので、「もうこれ以上、第三者がいないところで話し合うのはイヤです」と言って、逃げてきた。

 

はあ。うんざりだ。

 

うんざりだ、と書きながら、うんざりしてるわけではないんだよな、と思う。

 

知り合ってから20年以上が経っている。その間に、自分の人生すべてをささげると思っていたほど好きだった時期もあれば、心の底から軽蔑しているという時期もあり、その振れ幅が大きすぎて、そして、その都度、その都度の彼の態度も違いすぎて、私はどんな感情を抱けばいいのか、ものすごく混乱してしまう。

 

同居生活の終わりごろは、とにかく彼が私を支配、攻撃、侵略しようとしていて、でも、私はそれを彼の愛だと思っていたから、自分がつらくてもひたすら耐えて、でも、友達から「それってDVだよ」って言われて、受け入れるまでにもけっこう時間がかかって、でもつらかったけど目が覚めて、目は覚めたけど現実として子供が3人いて、私は子供を傷つけることだけは絶対にしたくなかったから、別居して、なんていう風に、とにかく長い時間、振れ幅の大きい関係性が続いてきたものだから、彼に対して、何をどういう風に思ったらいいのか、自分でもよくわからないのだ。

 

ひとつ、はっきりしているのは、今、私はもう彼からなるべく遠く離れたい、ということ。できる限り、他人になりたい、と思うこと。それは、子供の幸せとか金銭的負担とか世間体とか、ぜーんぶ切り離して考えたときに、もう、魂が彼の存在を拒絶している感じなので、とにかく他人になりたいです。この先の私の人生に、何ひとつ影響を与えてもらいたくない。別の世界で生きていってほしい。いや、正直生きていってくれなくてもいい。けど、たぶん彼が死んだら子供たちが悲しむから、それは望んでいない。

 

人間、誰しも自分が可愛くて、自分が正しくて、自分に都合のいい解釈をしてしまう、というのは大前提だけれど、私は、人間同士の関係性において、相手の望む自分、というのをわりと敏感に察してしまい、できる限りその人物像に合わせよう、という努力を無意識でしてしまうので、この期に及んで今でも、「彼は彼でかわいそうだな。こんなはずじゃなかったと思ってるだろうな。私と結婚してかわいそうだったな」と思わないわけではない。

 

けれども。

 

私だって、彼と結婚してかわいそうだったよ。毎日、家に帰りたくなくて、自転車に乗りながら帰り道で泣いてたもん。涙が止まらなかったもん。今でもあの頃のことを思い出すと泣けるもん。

 

おやすみなさい。

 

 

 

とある決断

うふふ。1つ、決めました。

 

まだ、書きません。というか、ここにはずっと書かないかもしれません。すごく、オフィシャルなことだから。そして、とても、とても、パーソナルなことだから。

 

誰に、どんな順番で、話をしようか、と今は考えています。でも、たぶん、どんな順番で話をもっていったとしても、私の考えは変わらないのではないかと思います。

 

それくらい、悩んだし、考えたし、時間をかけた。今は、出てきたこの考えしかない、と思える。

 

この決断は、個人的にはものすごいチャレンジですが、世間的には敗北、逃亡かもしれません。でも、そんなの気にしません。世間の評価よりも、私は自分のチャレンジを選択します。

 

だって、チャレンジしないで年を取っていったら、もっと後悔しそうだから。世間的なチャレンジを重要視して、自分のチャレンジを諦めたら、自分に申し訳が立たないから。

 

私の人生は私のもので、私が責任をとればいいだけのこと。私が自分で選びたい人生があるのに、それを選ばないのは、自分に対して無責任すぎる。

 

チャレンジというのは、勉強です。私、ずっと自信がなかったのです。何をしていても、いつかこの化けの皮がはがれるのでは、私は本物ではないってみんなにばれてしまうのでは、ということが怖かったのです。

 

その恐怖を取り除くために、勉強をすることにしました。勉強の方法も、決めています。その実現のためにはまだまだ他にすることがあって、実際に勉強を始めることができるのは少し先になるかもしれないけれど、とにかく、今の時点では決めました。

 

迷うのも、悩むのも、耐えるのも、悪いことではないと思うけれども、私は決めるのが好きだから。決められない自分が好きではないから、自分を好きでいるために、決断をします。

 

大きな決断をするのは、4年ぶりかな。本当は、4年前にその選択肢を選んでいたとしても、おかしくなかったのだけど、ちょっと遠回りをしてしまったかも。

 

でも、この4年の中で身につけたものは少なくありません。この4年間で出会った人たちもたくさんいます。

 

カラテカの矢部さんが、漫画で賞を受賞されて、その挨拶で「漫画を描き始めたのが38歳で、今40歳だけれど、自分を励ますために、漫画を始めたときにまだ僕は18歳だと思うことにしたので、今20歳だと思っています」みたいなことをおっしゃっていました。全然正確じゃないけど、そんな風に私は受け取りました。

 

私も、今23歳だと思うことにします。23歳。若い。社会に出るのはまだまだこれからだ。非常識に行きます。

 

もうやらないと決めた

なんだか消耗した1日でした。行きたくない昼食会に行ったからです。たかが3時間程度の食事会。いやなことを言われたわけでもなく、不愉快な思いをしたわけでもない。けれど、行かなくてはならない、と思い込んで、行きたくないけど行かなきゃいけない、という気持ちのままに行ってしまったので、ものすごく疲れた。

 

楽しくなかった。だけど、あまりにあからさまに楽しくない、という雰囲気を醸し出していては、まわりの人に申し訳ない。まわりを不快にはしたくない。けど、楽しいふりをするのは自分を偽ることになる。

 

どんな態度をとったところで、すべてがウソだという、地獄のような食事会。

 

来なきゃよかった、と心のそこから思いました。出席しなかったとしたら、出席しないことで失礼な人間だと思われたかもしれないけれど、食事会の間中、面白くないですよ、という雰囲気を漂わせている人間がいたら、それはそれで皆さんにとっても不愉快だろう。

 

もう、こういうのをやめにしたい。来なきゃよかった、と思う時点で、来ないという選択肢もあった、ということだ。だったら、行かなきゃよかったのだ。絶対に行かなくてはいけない、欠席という選択肢がなかったのなら、腹をくくって全力で楽しめばよかったのだ。

 

その場にいて、楽しいと思えないことはしない。もう、この先はその方針を崩さないでいこう。いやだということはいやだと言う。必要ないと思うことはしない。楽しめない場所には行かない。

 

それで、なにか私は失うのだろうか。もう…、失ってもいいよ。失ったとしても、要らないものだから、それ。

 

私が欲しいものは、もうわかっている。自分のしなきゃいけないことも、わかっている。

 

誰よりも、自分に正直に生きる。そのとき、そのときの自分の気持ちを見つめる。立ち会う。向かい合う。

 

感情に向き合うこと。感情をコントロールすること。感情に振り回されるのではなく、自分の感情と、対話する。感情があることを、認める。感情の言いなりになるのではなく、感情と共存する。

 

自分の生きたいように生きていけるのだから。私は自由なのだから。自由と責任のある大人なのだから。

 

自分のために自由と責任を使う。自分を幸せにするために、自分を豊かにするために。

 

そんな風に、消耗する1日を過ごしていたら、これだけは見たい、と思っていた映画の半分も見られないで、もうこんな時間になってしまった。

 

心を落ち着けて、寝よう。実は、体重が増えてしまっているので、その点もなんとかしたい、と思いつつ、心を落ち着けて、寝よう。

 

おやすみなさい。

 

少しずつ変わっていく

いろいろぐじぐじ悩んだりしてましたが、人間、ずっと同じ状況というのはありえなくて、何がきっかけか、何を理由としてか、わかりませんが、まわりも自分も変わっていきます。

 

いや、わからないってことはないな。人に話したことで、状況が変わったな、今回の、私の場合。

 

自分のなかだけで考えていても、現実は何も変わらず、考えていること、やってみたこと、その結果などなど、人に話すことで、「そうですね」って言われたり、「こうじゃないですか」って言われたり。

 

私の決断で影響を受ける人たちなんだけど、みんなとても優しくて、私の思うようにしたらいい、という態度でいてくださるので、それはそれで、私はますます悩ましいわけですが、でもまあ、ぜいたく言ってちゃいけませんね。責任を、引き受けなければ。

 

今日はまた、遅くなってしまった。とりあえず、睡眠を確保。おやすみなさい。よい週末を。