人様の文章を直す

今日はもう、ひたすら感情にふたをして、ざくざく、ざくざく、仕事をしました。

 

私がいまやってる仕事は、人様の文章を直すことです。正直、かなりこの仕事は得意だと思います。

 

が、それ、本当に??? っていつも思います。私が読みやすい文章にしているだけで、一般的に読みやすい文章になってるんか、本当に??? 誰が判断した??? 誰が、私が直したことでより読みやすくなった、って評価した???

 

私のところに書いた文章を送ってきてくれる立場の人の中には、それこそ文章を書くことを生業にされている方もいらっしゃいます。そんな方々の文章を、私が直すなんて、なんとまー、恐れ多い!!!!!

 

と思うんですけどね。

 

思っちゃいけないんですよ。

 

恐れ多い、って考えると、仕事が進まないんです。いいんです。文章を書くことと、文章を直すことは、別の仕事なんです。私は、人様の文章を直すことで、それこそもう、15年くらい、お給料をいただいているのです。

 

だから、もう、今日は、恐れ多い、っていう感情にふたをして、とにかくさくさくとメールを書いて、「ご確認ください」って送ったら、そのプロの人からすぐに返事が来て、「丁寧に見てくださり、ありがとうございました」って、ほとんどの修正をOKして返してくださったんです。

 

ほおおおおおおお。

 

安堵。

 

安堵ですよ。やっぱり、メール開く瞬間とか、緊張しますもん。変なこと言ってたらどうしよう。とんちんかんな修正だったらどうしよう、って。

 

感情にふたをするっていうのと、自信をもつっていうのと、自分を過信してしまうっていうのと、全部違うと思うけど、今はとにかくスピードが大事なので、自分を信じて感情を恐れすぎずに、進める。がつがつ、ざくざく、進めるしかない。

 

失敗したら謝ります。特に、初めて一緒にお仕事させていただく方は、私のぞんざいな言葉づかいに腹を立てるかもしれませんので、そこは丁寧に。誤解のないように。

 

そーれーにーしーてーもー。

 

文章を書ける人って、少ないのだなー、と思います。プロの方でも、最初から修正なし、ってことはほとんどないので、そのレベルとは全然また違う話なのですが、もー、読んでて、「これ、どーしたらいいんだよ…」というレベルに、根本から書けない、という人がいる。いるんですよ、ほんと。

 

たとえば、「この1時間以内に起こったこと」を書いてくださいと言うと、3時間前に起こったことや、1年前に経験したことを、こっちも知ってるという前提で書いてくるような人って、いるんですよねー。知らんっつーの。

 

分かるように書け。こっちがどんだけ分かってないかを、とことん配慮して書け。何にも知らないことを大前提として書け。

 

と、腹立たしくなるわけですが、ここのブログは、あえて私の過去が分からないように書いていますので、「分かりにくい!」「分からない!」とはおっしゃらないでくださいましね。

 

おやすみなさい。

 

一人になれない

なんでブログ投稿のタイミングがずれたか、わかりました。友人が恋をしているのです。で、私を含むグループLINEでいろいろな話をするので、それに付き合っていると、あっという間に時間が過ぎるのです。

 

結局、自分ひとりに向き合って、自分ひとりでキーボードで文字を紡ぎだしているか、友人と一緒にスマホのフック入力で文字を紡ぎだしているか、の違いで、私はせっせせっせとテキスト入力をしているわけです。

 

自分以外の人間を動かすのに、方法は3つあると思っていて、それは、言葉を使うか、お金を使うか、体を使うか。体を使うっていうのは、土下座する、とか、その人のために働く、とか、足しげく通う、とか。

 

言葉、お金、体、この3つのうち、言葉を使うのが私にとってはいちばん痛みがない方法なんですよねー。いちばん豊富に持っているもの。いくらでも出てくるもの。そして今は、出す方法がインフラとして整った世の中に暮らしている。

 

いや、でもインターネットとかスマホとか、インフラが整う前から、私は文字を書くのが好きだったなー。子供のころから、手紙を書くのが大好きだったのです。文通が趣味だった。あれって、ネットのない時代のSNSみたいなものですよね…。

 

私は、ポケベルやガラケーはほとんど使いませんでしたが、あのころは何をして過ごしていたんだろう? 私の趣味って何だったんだろう。と書いて、思い出しました。やっぱり日記を書いてました。手書きの日記。ノートにせっせと毎日書いてました。今でも残っているあの日記。

 

あるから読み返すこともあるけれど、一時期マックで日記を書いていたこともあって、それはマックを使わなくなって、いちおうフロッピーでどこかに保存してあったと思うけど、それをわざわざ読み取って読もうとまでは思いません。フロッピーディスク、なーつーかーしー。

 

インフラって大事ですよねー。アクセスできるかどうか。アクセスの困難を乗り越えてでもなお、その情報を欲しいと思えるかどうか。

 

逆に、その垣根をどんどん低くすると、商売としてはもうかりやすいのでしょうなあ。

 

春から夏の間は、仕事をする気になれる時期なので、働かなければ。働いて、自由になるのだ。お金がないと、子供たちにも気を遣わせるし。会いたい人にも会えないし。

 

あー、そういえば、子供たちのために夜に彼らと会える時間を確保しよう…と、自分の時間の使い方を見直した途端、お誘いのメッセージがいっぱいきて、なんだか今週は食事会が連続。

 

ありがたいのだけど、なかなか一人にはなれませんなー。ありがたいのだけど。

 

イレギュラーな投稿

なんだかちょっと、生活が乱れています。いや、乱れているのはブログ投稿のタイミングだけかな。別に生活はそこまで乱れているわけではない。

 

ただ、早くに目がさめてしまうことが続いてました。睡眠を確保するというのは、私の最優先課題なので、そこたダメだとなんだか1日がぜんぶダメになる気がする。

 

仕事が立て込んでおります。受けた仕事はこなすことができる。しかし、ない仕事を生み出すことができない。

 

と書いてる一方で、なかった仕事を引き受けたんだよなー、この前、と思う。やったことないのに任されちゃった話。納期よりも6日早く、納品しました。精一杯やったり、自分としては悪くないものができたと思っているけれど、先方からしたら、「これじゃー全然ダメだ」と思う可能性もあるので、「全然ダメだ」という判断をするなら早いほうがありがたいだろう、と思って、超特急で仕上げました。

 

この仕事が評価してもらえたら、私はめちゃめちゃうれしいなあ…。

 

ちょっと、キーボードを打つ指が、鈍ったようです。なまったようです。

 

今日のところはこれにて…おやすみなさい。

 

隣で眠る人

おはようございます。

 

昨日の夜、別居を始めてから初めて、娘が泊まりにきました。

 

隣で誰かが眠るのは久しぶりで、私は寝つけるか心配でしたが(自分が緊張して寝つけないのではないかと)、娘の寝息が聞こえてきて、安心して眠りました。

 

でもやっぱり緊張していたみたいで、ずいぶん早くに目が覚めてしまいました。ふと隣を見ると、娘がいない。あれ、と思ったら、布団の足もとの方に、体を半分くらい出して寝ていました。なんて寝相が悪いのだ…。このまえ移動教室があったばかりだけれど、大丈夫だったんだろうか???

 

しばらく娘の寝姿を見つめていました。人の、無防備な姿というのは、なんと愛しいものか。前にも書いたければど、私のいるところで眠ってしまう人、というのを私は愛しく思います。私のことを信頼してくれているということだから。

 

まー、前の会社で、一緒に働いてる立場でいっつも居眠りしてた同僚には心底腹が立ってましたけどね!

 

無防備なのと、無関心なのとは紙一重ですね。眠っている人の姿を、無防備だと解釈して愛しく思うのと、無関心だと解釈して「お前ちょっとは私に気遣え!」と思うかは、私の気持ち次第ですが、まあ、すべての人に対して「無防備でかわいい♡ 私、信頼されてる☆」とか思うのは、さすがにおめでたすぎます。

 

私も、安心して誰かのもとで眠りたい。私はもう大人だし、一人でも安心して眠れるのだから、誰かがいることで、もっと安心して眠れるっていうのは、かなり難しい状況なのではないかと思います。たとえば、ぶっそうな地域とかだったら、旅行の同伴者がいた方が安心、みたいなことはあるかもしれませんが。

 

でも私は、基本的に相手に気を使いすぎるので、旅行も一人が気楽です。そう、私、社交的ですけど、社交的なのは人が好きなのではなくて、人に気遣うことが苦手ではないからです。なんですけど、必死で気を遣う人間なので、疲れるのです。

 

まあ、こういうことはあんまり書きたくないですが、夫も同じタイプの人でしたね。まわりにとにかく気をつかう人。その夫が、唯一私の前ではまったく気を遣うことなく、私のことなんていくら傷つけてもかまわない、と考えていたために、私はもう彼とは一緒にいられない、と思いました。私は私で、まわりの人への気遣いと同じように、彼に対して、むしろほかの誰よりも彼が幸せになるように、気を使い続けていたので。

 

夫と離れて暮らすことで、私は安心して眠ることができるようになりました。前は、夫の足音が聞こえるだけで、体がこわばって、泣きたくなっていた。恐怖に支配されていた。

 

今は、何も怖くないです。何も。

 

 

幸せになりたい

家でやることが増えました。会社でやれない仕事を全部家でやろうとしているのだから、当たり前です。

 

体重が減りません。減らす努力をしていないのだから、当たり前です。

 

部屋がめちゃめちゃ散らかっています。掃除をしていないのだから、当たり前です。

 

今のところ健康です。体力があるのだから…当たり前ではないな。これは、ありがたいことだ。健康であることは、コントロールはできない。

 

全部が全部、自分の責任になってしまう人生は、しんどいです。誰かのせいにできる人生は、けっこうらくちんなのではないかと思うけれども、私はそういう思考ができないので、らくちんかどうかはわからない。

 

だったら、私がらくちんだと思う人生を歩めばいいのですが、なかなかこれがどうして。大人は楽をできないようになっているのが、この世の中なのでしょうか。

 

あーもう。しんどいわー。泣きたいわー。投げ出したいわー。

 

でも、泣いたところで解決はしないのですよね。いつかは泣き止まなければならない。泣き止んだら、また状況に向き合わなければならない。

 

投げ出しても、投げ出しても、人生は続くので。投げ続けるより、持ち続けるほうが、まだしも楽なのではないか、とか。

 

こんな抽象的なことばかり言っていても、本当にしょうがなくて、言語ゲームみたいなことしてても、現実は変わらないのです。

 

時に人は、何かを選ばなければならない。選ぶことがしんどくても。

 

はあ。しんどいなあ。しんどいしんどいしんどい。

 

しんどいって、安心して言える相手がいるといいのでしょうね。人って、悩みを壁に向かって打ち明けるのと、だれか別の人に向かって打ち明けるのと、効能がぜんぜん違うんですって。

 

とにもかくにも、人生に一発逆転ホームランはない。というか、逆転したところで、ゲームは続く。浮かれている間にも、どんどん状況は変わっていくわけで。

 

とにかく今は、目の前の仕事に集中。投げ出さない。ベストを尽くす。真摯に取り組む。私にできることはそれしかない。今、できることはそれしかない。

 

やだなー。ベストを尽くして結果が出なかったらやだなー。でも、そんなの当たり前だよなー。

 

せめて、やれるだけのことはやった! と思えるだけの人生でありたい、とは思うものの。

 

しんどいのですよ。匿名だから書ける愚痴ですけど。不安だし、みっともないし、孤独だし。

 

本当にこれでいいのかなあ、と常に自問自答しながら進む。「これでOK!」と自信をもっていられたときは、幸せだったなー。もう一回、幸せになりたいなー。

 

書けばいいというものではない

あ、あの作業の続きをしよう♪ といつもより早起き。

 

分かってます。これ、続かないです。そのうち飽きるし、したくない仕事になるし、そもそも、認めてもらえるかどうかも分からないので、続けられるかどうかも分からない。

 

でも、とりあえず楽しい時間を過ごせていることはなくならない。消えない。だから、しばらくは、浮かれて過ごす。

 

執着を手放すには時間がかかります。あきらめられないものは、あきらめられるまで続ければよい。あきらめられたときが、執着を手放すタイミング。

 

いつか、そのタイミングが来る。来なければ来ないでよい。

 

私は、たぶん今年がそのタイミングなのです。手放しても怖くない、ということが、ようやくわかってきた。自分のしたくないことはできない、ということもよーくわかってきた。

 

このまま、自分の大切なものだけを選択していけばよい。

 

この、ブログを書く時間も、私には大切なものですね~。これだけ書いているにもかかわらず、全然アクセス数も増えていませんが、スターがついているということは、読んでくださっている方がいるということ。

 

私は、言葉は一人に届けばいい、と思っています。一人に届かない言葉が、多くの人に伝わるわけがない。

 

一人の人が、読んで意味のわかる文章は、それだけで価値があると思います。

 

ピンチに陥ったら手紙を書く。自分の気持ちを言葉にする。私はこれまで、人生をこれで乗り切ってきました。

 

この状況から抜け出したい、と思ったときも。

 

どうしても助けてほしい、と思ったときも。

 

心からのお詫びをしたい、と思ったときも。

 

私は悪くないと弁明すべき、と思ったときも。

 

自分の言葉は自分を裏切らない。自分の言葉は自分を助けてくれる。今は、そういう自信があります。

 

その他は、全然ダメですけどね…。交流パーティみたいなものとか、飛び込み営業とか、やってもやっても凹むばかり。

 

言葉って、誰にも使えるものなんですけどね。

 

私、部活動で陸上部がいちばんかっこいいと思っていて。

 

なぜかというと、「走る」ってかなり多くの子供が、小さいころから訓練させられるじゃないですか。だから、「オレってもしかして走るのが得意かも?」って気づく子供は相対的に多いはず。

 

これが、水泳とか、サッカーとか、ピアノとかだと、まず「習い事として継続的に訓練した経験がある」ところでフィルタがかかりますよね。

 

あー、すみません。書くのがめんどくさくなってきた。

 

私の言葉好きレベルなんて、こんなもんです。

久しぶりに生き生き働く話

まったくもって自慢するつもりもないというか、自慢には全然ならないと思うんですけど、たぶん、私って初対面の人に対して、めっちゃ自信もってるように見えるんだと思います。

 

今日、「仕事ください」って話で初めての場所、初めての人に会いにいったんですね。で、私はこう見えて(って読者の皆さんには見えてないっつーの)無責任な仕事だけはしたくないので、「仕事ください。でも私にできるのはこれとこれです。こういうことはやったことがありません」っていうのを正直に正直に伝えたのだけれど、いきなり、やったことのない仕事を、どーんと任せられてしまった。

 

ちょっと、あわわわ、あわわわ、ええええ、ひいいい、って感じだったのだけど、「そ、それは…やってみるのは構わないですけど、時間かかると思いますよ…余計に足手まといかもしれないですよ…」とこれまた正直に伝えたつもりなのだけど、「そうですか、じゃあこれくらいの時間をとりますんで」と、結局やることになってしまった。

 

「あ、あの、やってみますけど、ボツにしていただいて構わないので、じゃあ、またご相談しながら進めさせていただきます…」って引き受けて帰ってきちゃったけど、帰り道、ガタガタ震えちゃったよね…。

 

お仕事をもらいにいって、仕事もらってガタガタ震えてるんだから世話ないわ、って感じなんだけど、なんで…なんでそういうことになったんだ??? と思って、で、私、考えてみるとそういうことがこれまでにもたくさんあるのです。

 

たぶん、私が脳内で考えていることとか、緊張しながら感じていることとか、それとは全然違う印象を、相手に与えているのだと思う。だから、私が思っている反応と、違うものが返ってきてしまうのだと思う。

 

帰り道では、ひえええ、どうしよううううう、って感じだったけど、断ることはできないんだから、やるしかねえな、って思って、さっきとりかかったら、これがもう、楽しいのなんのって。

 

やり方が合っているかどうかわからない。満足してもらえるかどうか全然わからない。お金がいただけるかもあやしい。

 

けど、楽しい。私、この仕事というか、この作業が好きだ。

 

今は、ごくごく簡単なものしかできないし、スピードも遅いけど、ちょっと、この道を突き進んでみてもいいかもしれない、と思った。せっかく任せてもらった仕事があるのだから。

 

これで褒めてもらえたり、お金がもらえたりしたら、うっれしいな♪ ダメだったとしても、どこがダメでしょうか、どうしたらよくなるでしょうか、って食い下がって、お付き合いを続けてもらえたらいいな。

 

あー、なんか、楽しくなってきたよ。