美味しくないものを食べちゃダメ

臨時速報(笑)。なんでやねん。なんかヒマなので書きにきた。

 

お正月休みの間、いい感じに食べる量が減っていたのだけど、今日、ルーティンの仕事に取り組んでみたら、なぜか口寂しくて、次から次へと栄養にもならないものを食べ続けてしまう。

 

なんで? そんなに仕事がストレス??

 

この行動の仕組みについては、ちょっと解明したいところではあるなあ…せっかくお腹周りとアゴ周りが、ほんの少しだけしゅっとしてきたかと思ったのに。

 

Facebookでつながっている人が、ファスティング(断食)中には美味しいものの写真を見たり記事を読んだりして食べたつもりになるって書いてて、えー、うそやん、そんなのやったら余計にお腹すくわー、と思ったけど、自分がだらだらパンとか食べてしまうのもイヤになって、だまされたと思って「おいしいもの」と検索してみたら、パンケーキとかステーキとかの写真が出てきて、それを見ていたら不思議と「なんでもいいから食べたい」って気持ちがなくなった。

 

どうせ食べるなら、おいしいものを食べたいよね。食べたことを自分で否定するような食べ方してはいけないよね。

 

って、これ、前にも似たようなこと書いたなあ。学ばないなあ、私(苦笑)。

 

逃げたり挑んだり

ラジオ体操のかけ声をかける人が、今日は女性でした。初めてかも。体操のお兄さんじゃなくて、体操のお姉さん…? お姉さんというよりも少し年配な感じだったけど。

 

年配って、じゃあ何歳なんでしょうね。30代かなあ。自分が42歳なのに、30代を年配っていうのもへんな話ですね。

 

今、ラジオ体操ともう1つ、今年に入って挑戦していることがあって、これが明らかに高すぎる目標設定だということが判明して、後悔しています。クリアできそうな目標じゃないと、脳が拒否反応を起こして苦痛になるのです。苦痛に堪えて乗り越えることにこそ意味がある、と思って高い目標を設定してみたのですが、あー苦しい。苦しい苦しいあー苦しい。

 

負荷をかけるってたいへんです。人間だれしも、苦痛からは逃げたいですからね。

 

2017年は、逃げることが認められた1年でもあった気がしますね。過労死の問題とか、ヒットしたドラマのタイトルとか。

 

大切なのは自分を大切にしつつ逃げること。逃げるばかりだと逃げる以外にとれる策がなくなって、いずれ追いつめられる。逃げなくてもいい場所まで来たら、そこで全力を出すとか、そういう柔軟さが必要なのでは、という気がしますね。

 

って具体的な例を何も出さずに書いても何の説得力もないと思いますが。

 

占いって、基本的にこういう言語ゲームだと思います。「もう十分がんばったから逃げてもいいころですよ」とか、「逃げている中で大切なものに気づいたらそこにとどまればいいのです」とか。

 

何のことやらさっぱりわからず指示が出されて、読み手が勝手に「そうか、もう夫に対しては十分尽くしたから、そろそろもう彼のお世話はしなくていいよな」とか、「なるほど、離婚できるように働きかけてきたけどやっぱり子供は大事だから今のまま別居でいいわ」とか解釈するんですよね。

 

うーん。最初の占いの言葉を書いていたときには自分の今の状況を書くつもりなんてさらさらなかったのに、いつの間にやら自分のしかけた言語ゲームにはまってしまった。

 

皆さま、よい1日を。今、タイトルをつけてみたら似ている字がならんでびっくり。

 

 

 

ささやかで尊大な願い

この前もちょっとだけ出社したのだけど、今日はまたそれよりも少し多く出社。本格的な営業は9日から。

 

とは言え私としては今日から始動の感覚。子供と離れて職場で仕事をするのは、圧倒的にはかどる。私の場合、“場”のもつ力や環境から与えられる影響は、ものすごく大きい。

 

とある環境でしか仕事ができないのであれば、その環境になるべく多くの時間、身を置けるように努力するまでだ。

 

今年、力を入れたい事業の資料を作り、去年買ったお気に入りのファイルに入れていく。なんだか、学生のときにお気に入りのノートを作ったときみたいな高揚感があって、なつかしい感じだった。成績なんて二の次で、ただただ自分の作品を美しく仕上げるみたいな感覚。

 

ただただた自分の資料を美しく仕上げるだけじゃなくて、これが収益に結びつくといいのだけど。

 

でも、もし収益に結びつかないとしても、楽しかった時間は消えない。今日の午後、アガル気分を感じたという過去は変わらない。そういう自由と責任こそが、今の私の仕事の仕方の醍醐味だ。

 

できることなら、自分のイメージする自分と、他人が私を見たときに抱く印象とが、あまりずれない世界で生きていきたい。私がこうありたいという自分を、まわりがそのままに受け取ってもらえるような。

 

他人がイメージする私に、自分を合わせて偽るのはつらい。私のなりたい自分のせいで、まわりがあきらめたり呆れたりしてしまうのもつらい。

 

自分のありのままの姿が、そのまままわりに受けとめてもらえるような世界で、生きていきたい。

 

おやすみなさい。

 

物語とプロ意識

昨日は『毎日かあさん』を見ました。

 

毎日かあさん

毎日かあさん

 

 

文字通り、これだけ毎日毎日、日常を漫画にして世間に対してその物語を公開しつつ、もちろん素顔も公表して、映画まで作られて、でも、西原さんの全部を知っているのは西原さん本人しかいないのだろうなあ、と思う。

 

映画の中の小泉今日子演じる西原さんは、ものすごく器の大きな女の人で、お酒に溺れた夫を見捨てないどころか、いつもユーモアを忘れず、どんなに深刻な状況でも冗談を言ってまわりを笑わせようとする。

 

それはそれで彼女の本当の部分なのだろう、と思いつつ、そんなつらい状況だったら誰かに頼りたい、と思ったり、何もかも投げ出したい、とヤケを起こしたくなったり、度量の大きさだけでなくお金の力で問題を解決したりしたことも、たくさんたくさん、あっただろうと思う。

 

でも、それがなんだというのだ。小泉今日子さんのナレーションを通じて、西原さん自身が、映画の最初から最後まで、「私はずっとウソをついてきた」と語っている。ウソをつくのが西原さんの仕事なのだ。どんなにつらくても、どんなにキツい状況でも、毎日毎日、ウソを作り出して読者を楽しませるのが西原さんの仕事だったのだ。

 

西原さんは、仕事に対して徹底的にプロフェッショナルだったのだ。だからこそ、膨大な量の作品が世に生み出されているのだ。

 

離婚したカップルである小泉今日子と長瀬正敏が夫婦役を演じているのも、徹底したプロ意識を感じる。私生活と、感情と、それらをものともせずに、かつては夫婦だった二人が夫婦を演じるという仕事に。

 

泣き続ける西原さんを、子供たちが笑わせようとするシーンは泣きましたね。子供って、そうなのよ。親が悲しむのが耐えられないのよ。だからこそ、その優しさに、甘えちゃダメなのよ。

 

親も人間だから、甘えたくなっちゃうんだけどね。甘えたっていいんだけどね。時にはね。

 

 

妄想に対して全身全霊で

不安も孤独も、脳内で作り上げているもの。あると思えばある。それについて考えれば考えるほど、脳内を占める不安や孤独の面積が広がっていく。

 

脳が支配されて身動きできなくなりそうになっていた午後、子供たちが3人ともやってきて、孤独や不安は小さくしぼんだ。払拭されたわけではない。私に子供たちがいることで、私の孤独が拭い去られるわけではない。いつか子供たちは私の元を去っていくだろうから。

 

たぶん、それは誰と一緒にいても同じことなのだ。この人だけは違う、と思ったとしたら、それは束の間の錯覚なのだ。錯覚ができている間だけが、幸せなのだ。

 

塾の宿題が一気に増えた!と、珍しく私の部屋で勉強をしていた長男。いつになくよくしゃべり、英語の分からないところを私に聞く。

 

もう眠い、もうダメだ、と言うので終わりにさせて、自分の家へ帰した。帰り際、視力落ちたりしてない?という話から、私が大学生のときに彼氏に殴られて右目に眼帯したとき初めて左目の視力がめっちゃ落ちていたことに気づいた、なんていう話を自然にしてしまった。え、母さん殴られたの?なんで?と、普通に興味深そうにちょっと怖いもの見たさみたいな感じで話を聞く彼は、息子というより年下の(27歳年下の)中学生の男の子だ。

 

母親だとか、息子だとか、親子だとか、それも全部、脳内が作り上げているもの。人と人との関係は、血縁関係とか民法とか、本当は何の役にも立たなくて、それぞれの意志と努力と行動で作り上げていくものだ。

 

愛だって、脳内で勝手に作り上げているもの。その勝手に作り上げたものを、意志と努力と行動で、相手に伝える。そして相手に伝わっているか、観察する。自分勝手な愛情の押し付けになっていないか、観察することでしか、自分の愛情で相手が幸せになっているかどうか、確かめるすべはない。

 

明日も、子供たちが私を母親として慕ってくれますように。できれば明後日も。その次の日も。

 

1年後は分からない。いつか私の愛情を受けとってくれなくなる日が来るかもしれない。だからその日が来るまで、私は全力を尽くす。悔いのないように全力で子供たちを愛する。

 

 

 

 

マインドフルになれません

おはようございます。ラジオ体操継続の危機でした(起き上がれず布団の中で聞こうとしてた)が、がんばりました。たかがラジオ体操、たかが5日間だけど、それでも実行している自分をほめてあげたい。

 

6時半に起きてラジオ体操してブログ書いてるだけで、もう7時になってしまう。当たり前か。他にやりたいことがあるなら、早起きしないとダメだなー。

 

さっき入れた紅茶が濃すぎて苦い。放置しすぎた。

 

1つ1つ、丁寧に暮らすのって、大変なのだ。

 

実質、完全オフは今日まで。何と何をしようかな。何と何をしなきゃダメかな。

 

すみません、心が千々に乱れておりまして、うまく書けません。正直すぎるわ、私。