健康的な生活

睡眠時間の確保は、私の生活の最優先事項なのに、昨日はブログを書いた後で真っ黒うさぎが降臨してきて、昔にフラれた男の名前をサーチしてしまった上に、もういい加減寝ようと思ったら、大学時代の同級生の男からLINEが来て、しかもその会話に動揺して、朝早くに目が覚めてしまって、あーもう私のバカー、となっている朝。

 

体力がガクッと落ちると言われている40代だからこそ、睡眠と運動が大事と思って、とにかく健康的な生活を心がけている。

 

はてなブログを始めていちばん良かったことの1つに、「高速スクワット」というものを知ったというのがある。こちらの記事で。

 

www.umablo.net

 

毎朝1曲か2曲、シャワーを浴びる前に好きな歌をかけて、このスクワットをしていたら、1週間くらいで身体のたるみがすっと消えた(気がした)。最近は、ここまでストイックではなくて、適当に肩胛骨を動かすとか、骨盤を動かすとか、アレンジを入れて、とにかく10分くらいは身体を動かす時間を作っている。アレンジを入れると、気持ちよい体操みたいになるけど、しんどさは格段に落ちます。やっぱ、ストイックに太腿筋を使ってスクワットするのが、いちばんカロリーが消費される気がする。やっぱラクな方に逃げちゃダメなのねー。

 

おっと、そろそろスクワットしてシャワー浴びないと、家を出る時間に間に合わない。毎日、規則正しい生活をしたい、というのも願っていることなのだけど、なかなかそれができないのよねー。

 

 

 

そして夕ごはんは吉野家だったよ

よしぎゅー、と言っても、豚丼の温玉乗せですが。見たい映画があって急いでいたので、ささっと。

 

私の中で、吉野家でがーっと牛丼(と言っても豚丼ですが)をかきこめるのは、カッコいい女の人なんです。映画『モテキ』で麻生久美子がやってましたね。

 

 

モテキ

モテキ

 

 

私にとって、『モテキ』は人生を変えたといってもいい映画です。ヒロインの長澤まさみがやってたみたいな、男をからかったり、惑わせたり、勘違いさせたり、そういうことを、やってもやっても、主人公(森山未來)はヒロイン(名前、なんだっけな。調べる。あ、みゆきちゃんだ、そうだ、みゆきちゃん)のことを嫌いにならないし、映画としてもみゆきのキャラクターをポジティブに描いてるし、最後はいちおう二人で幸せになるし、“えっ、そういうあざといこと、やっていいの? そういうことやる女が認められるってアリなの?”ということを知り、“だったら私もやるよ?”と人生の本気スイッチが入ったのですが、いかんせん当時すでに30代半ばを過ぎておりました。とほほ。

 

うーん、こんなブログ、両親が見つけたら泣くね。

 

ぜんっぜん関係ないのだけど、今朝なぜか、ふと、息子に『銀河鉄道999』を読ませようかと思いついた。

 

 

 

子供のころ、アニメで少しだけ見ていて何となく好きで、高校生だったか大学生だったかそれとも社会人になってからだったか、漫画で全巻読んだんだ、私。

 

この漫画、“異文化”を理解させるのに最適というか、自分の住んでいる世界の常識が、いかに狭き世界でしか通じないものかを考えさせるのに最適というか、考えるときの枠組みの外し方を伝えるのに最適というか、なんか、そんな気がしたので。中1息子も、これなら読むんじゃないかなあ、とか。

 

息子とはあまりに顔を合わせる時間が少なくて、一緒に住んでいると言い難い状況なので、伝えたいことをダイレクトに伝えられる手段が限られていてもどかしい。が、伝えたいことはあるのだよ、息子よ。

 

今日のお昼はチーズカレーでした

このブログを始めて1ケ月。今日の表示だと32日で98記事だ。毎日欠かさず投稿どころか、1日平均3記事くらい? 全然平気だし、まだまだ書けるし、書きたいことだらけで時間が足りないくらい。

 

ブログでやってみたいこと、試してみたいこと、たくさんある。

 

それこそ、毎日3回、朝・昼・晩と投稿してみたい。食べ物の写真をアップしているインスタ女子は多いと思うけど、毎日毎食、ステキな食事をするのはタイヘンでしょうよ。でも、1日3回、ステキなことを考えてそれを言葉にするっていうのは、私にはそんなに大変なことじゃないと思う。思うだけで、できるかどうかは分からないけれど。

 

「できると思う」ってことと、「やれる」「やる」「やった」は、全部違う。私は、自分で飽きっぽくて何をやっても続かない、と思っていたけれど、前の会社は新卒から16年勤めたし、結婚生活も10年以上は仲良く続けたし、誰に頼まれたわけでもないボランティア活動もリーダーになって7年続けたし、子育ても11年くらいは飽きずに取り組んだ。できない、やったことがない、って思っていても、そんなのは見方ひとつで、長い人生の中、何か探せばできたこと、やれたこと、続けたこと、見つかるもんだ。

 

そういえば、このブログの前に2つ、私1ケ月ももたずに飽きて投げ出したブログがありましたね。あ、もっと前のも含めると3つだ。思いついたらすぐ始めるのだ。続くかどうかとか、考えずに。続くかどうかは、やってみて続いたら続いたってことでいいんじゃないか、と。

 

思いついたときにすぐ始めるのは、父親の教えだ。父親はクラシックレコードを聴くのが好きで、買ったレコードを几帳面にノートに記録していて、それをみた小学校2年生だったか3年生だったかの私が、「うさぎも読んだ本をノートに書こうかな」と言ったら、「やってみなさい」と父が言ったんだけど、教えはその先で、私が「今日はなんでもない日だから、〇月(翌月)1日になったら始めるよ」と言ったら、「そうやって日付を言い訳に何かを遅らせる人は、いつまでたっても始めないんだよ。月が変わるよりも、うさぎが今日から、本を読んで、それをノートに書くことの方を大切にしなさい」みたいなことを言ったのだ。

 

あ、今、私のなかで父親がめっちゃカッコいい男性になってます。めっちゃ作り上げてます。まあ、実際にカッコいいんだけどね、うちの父さん。

 

というように、ですね、両親を褒めちぎるブログ、っていうのもやってみたい。親バカの記録っていっぱいあるじゃないですか。自分の子供がかわいくて、それを世間にも知らしめたいって親、いっぱいいるじゃないですか。まあ、個人情報とか幼児性愛とかあるから、そうそう大っぴらに書けないでしょうけど。

 

だけど、私は親バカではなくて子バカなんです。うちの両親は素晴らしい。42年間、付き合い続けてますけど(最初の方はあんまり記憶ないですけど)、いまだに立派な人たちだなあ、と思います。別に、有名な人でもないし、お金持ちでもなんでもないんですけどね。

 

匿名だけど、両親のこと褒めちぎって、いつかうちの両親が、「あれ、これ、私たちのこと? あれ、もしかして、このうさぎって、〇〇〇(私の本名)?」とか気づいたら、それはそれでめっちゃうれしくないですか?

 

ま、やるかどうか、やれるかどうか、続くかどうか、わかりませんけどね。とりあえず、仕事に戻りまーす。

 

遊んでます

とか言いつつ、スマホ遊びもやめられない。

 

私のアイコン(3歳でウサギを抱っこしている)も、気に入ってはいるのだけど、小さくてよく分からないなー、と思って、なんか作ろうかな、とか。

 

お絵描きアプリと、あとお遊びアプリを入れて、作ってみた4点。

 

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スマホって本当にすごい。本当に楽しい。この機器に勝つために、頑張らないと。

 

 

浮上してきました

恵比寿で飲んでて終電を逃す、という夢を見た。自分の素行が悪いのは今に始まったことじゃないけど、一緒にPTAをやってるママ友を道連れにしてしまって申し訳ないなー、と思っていた。酔った頭で(夢の中で自分は酔っている、と認識していた)、同じ小学校なんだから、方向は同じはずだから、一緒にタクシーに乗れば、ちょっとはお金が浮くはず、と必死で考えていた。しかも、終電を逃すほど美味しくて楽しくて、前もって会費は集めていたはずなのに追加徴収がそんなに高いの⁉って、ビビりながらもその場の雰囲気を壊さないように、平気なふりをしてお金を払っていた。

 

お金に取りつかれていますね。

 

しかし、『営業女子』読んで、ちょっと気分が上がってきましたよ。

 

営業女子 働き方の基本がわかる教科書

営業女子 働き方の基本がわかる教科書

 

 少し前までは、この本を読んで凹んでしまって、途中で読むのをやめてしまっていたのだけれど、稼がなくてはならんのだ、お金を持ってこなくてはならんのだ、と腹が据わったところで続きを読み始めたら、なるほどね、なるほどね、よしよし、うんうん、できるできる、できそうできそう、と前向きな気持ちに。

 

というのも、このところ出社してもあまりに事務所が静かで、このままでは飢え死にする、と切羽詰まってきたのが浮上のきっかけの1つ。

 

もう1つは、昨日やりとりした会社の女性の対応があまりにひどくて。とある映画の試写会情報がいきなり写メで送られてきて(スキャンでもなくて、明らかに写メ)、メールには私の名前もなければ先方の会社名もなくて、でも、観たかった映画だし、これ、行っていいのかな、と思って、そこに書いてあった広報の担当者に電話したら、個人名を名乗るおばちゃんが出たのです。で、私が自分の会社名と名前を伝えて、「〇〇という映画についてお聞きしたいんですが」と切り出したら、「ああ、はいはい、さっきメールを送ったやつですね。はい、来ていいですよ」みたいなことを言われて。

 

私はもう、わけが分からず、「え、あなたが送ってくれたんですか? どこで私のメールアドレスを知ったんですか?」って感じだったんだけど、そのおばちゃんが、「会社に問い合わせされましたよね」って。確かに、配給会社のホームページから、フォームを使って問い合わせはしたよ。で、返事が来ないなあ、と思っていたよ。っていうか、返事がこれだったのね。

 

その経緯を書いてよー。「お問い合わせありがとうございました」とかさー、「〇〇の試写会情報をお送りします」とかさー。100歩ゆずって、会社名を書いてよー。わけがわからないよー。

 

こういう…おばちゃんの客観性のなさが、本当に嫌い。自分の分かっていることと、相手の分かっていることが同じだと思っている感覚。というか、自分の知っていることと相手の知っていることは違う、ということを知らない4歳児みたいな脳みそ。そんな脳みそで働いている人間がいるわけで。

 

と思ったら、私なんてめっちゃまともだわ、という気がしてきたのです。これまでちゃと営業とかしたことないけど、知性も感性もちゃんとありますから。あー、思い出したらまた腹が立ってきた。

 

こんなおばちゃんに負けるわけにはいかないわ。って、戦う相手が違う気もしますが。いいのいいの。まずは勝てる相手を相手に戦って、自信をつけて少しずつレベルアップしていけばいいの。

 

 

むかーしむかし、こんな歌が好きだったのですよ

いつもより早く帰ることができて、小2の息子と会話をしてから、スーパーへ行く。「僕たちがお腹すいたときに食べられるもの買ってきて」と言われ、スーパーの中をさまよう。

 

おそらく私は、世の中の平均的な母親と比べたら、子供たちと一緒にいてやれる時間がものすごく少ない。子供たちも、私も、それをかわいそうなことだとは思わないようにしている。

 

子供は子供で、「お腹がすいたときにお母さんがいなくても食べるものがあるように準備しておいて」と言う。

 

私は私で、「私がいないからといってせめてお腹のすいたみじめな思いはしないで済むように買い物しておこう」と思う。

 

日持ちするもので、火を入れないでも食べられるもので、たくさん食べても体に悪くなさそうなもので、子供の喜びそうなものを、選ぶのが難しい。

 

シリアルとかクラッカーとかを買い、今日帰ったらすぐに食べられるように、息子の好きなスイカを買い、娘の好きなパイナップルを買い、私が一緒にいるときに食べられるようにラーメンの5袋パックを買う。買う、買う、買う。子供のために買う。

 

買い物をしながら、子供のできないことをしてやることが親の役目だとしたら、私はお金を稼がなければいけないな、と思う。好きなことをして、楽しく働いていて、自分は満足だけれど、一緒に過ごす時間が少ないことで、子供にしてやれることが少ないなら、私はお金を稼がなくてはいけないな、と思う。

 

自分のために仕事する気になれないのだとしたら、大切な誰かのために仕事をすればいい。親が子供のために働くのはあまりに当たり前だけど、当たり前から逃げるように、私は自分のやりたいことを選んでしまったのだから、生きたいように生きる、とは別に、お金を稼ぐ理由が必要だ。

 

家に帰ると、娘と息子がそれぞれ1台ずつパソコンを使ってYouTubeを見ている。私は、スイカを出し、トーストを焼き、麦茶を注ぎ、スープを作り、パイナップルを出す。子供たちは王様だ。なにひとつ憂うことなく、なにひとつ我慢することなく、自分のしたいことをしている。私はそのために動く。

 

1日の中の、たった数分、ほんの数時間のことだから。甘やかしてやる。彼らはまだ、9歳と8歳だから。

 

こんな毎日が、普通で、当たり前で、いつまでも続くものだったら、彼らはこんな日々を忘れてしまうのだろうな。思い出でもなんでもなく、子供のころのなんでもない日々として、記憶から消し去られてしまうのだろうな。

 

だけど、私は、そういう日々の安心が積み重なりだけが、彼らの健やかな心身をはぐくむと信じている。何でもない日々が認められたように、何者でもない自分を認められる、自尊心の土台になると信じている。

 

もちろんそれが合っているのかどうかは分からない。時間だけが正解を知っている。

 


Nelson - Only Time Will Tell

 

…どえらい懐かしい歌を思い出してしまいましたわ。

おやすみなさい。

 

目標は数字で立てるんだよ

右も左も分からないままに会社経営をしておりますが、そんな経営者は私だけではないようで、しかしそんな経営者をわが国家は困ったものだと思っているようで、税理士さんから、「ちゃんと数字のことを分かる経営者を国としても育てたいみたいなので、加茂さん、一緒に事業計画を立てるっていうの、やってみましょうか」とかなんとか、そういうお誘い(というか叱咤激励)を受ける。

 

目標を立てるとか、計画を立てるとか、苦手なんだよー。行き当たりばったりでも何でも、その場で最善策を取るしかないって思ってるからさー。

 

なんて言ってても、株主は納得しません。当たり前じゃ。

 

税理士さんからは、「加茂さんが10年後にどうなっていたいか、それが大事なんですよ。10年後の目標に向かって、じゃあそのために5年後、3年後、この1年、何をしていくかっていうように、目標を立てるんです」って言われた。

 

なるほどー。分かります。分かります、が。

 

10年後、どうなっていたいか、と言われると、どんな状態であっても私は幸せだろうなー、とか思ってしまうわけです。お金があってもなくても、会社があってもなくても、きっと私は幸せに違いない、と。

 

なぜかというと、これまでの人生で、いつも今がいちばん幸せなので。もう、40年以上この法則が揺らいでいないので、私の脳はそういう仕組みになっているのだと思う。

 

しかーし、いかん、いかん、いかん。そんなことでは、本当に会社がつぶれる。

 

こういうときこそ、数字で考えるのだ。「お金がなくてもいい」って、感覚的なことを言っていてはいかん。ついこの間「3年に1回は海外旅行に行きたい」って書いたばかりじゃないか。3、とか1、とか、やっぱり数字を出すと強いな。3年に1回海外旅行に行くためには、それなりに貯金できる額を稼がないと、送りたい人生が送れないぞ。

 

私が幸せだっていうことを証明する数字は1だ。1人。ひとりが分かってくれたらいい。事業に失敗したとしても、「うさぎはよくやったよ」とか、「でも、うさぎめっちゃ楽しそうだったよね」とか、わかってくれる人が1人でもいたらいい。

 

この1人は、本当は自分じゃダメなのだ。現時点でも、仲良しの母親や、まわりの友達は認めてくれると思う。でも、欲を言えば、ちゃんとしたパートナーに認めてほしいのだ。

 

あー、10年後、私には新しいパートナーができているのかしらん。

 

いかん、いかん、いかん。私生活でのパートナーができればそれでいいや、とか、そういう甘っちょろいことを考えてるから、数値目標が立てられないのだ。数字、数字、数字。金、金、金。

 

お金はすべてではないけれど、お金で解決できることって、たくさんあるんだよね。お金がないことを言い訳にして、あきらめなきゃいけない人生もあるんだよね。

 

数字ね。はい。数字。がんばります。目に見えるものね。数字はね。